生きるとは厳しいが
- 超法寺の住職
- 2023年7月28日
- 読了時間: 2分
皆さま、おはようございます。
まだ梅雨明け前だというのに朝からこの暑さにはクラクラ来ています。
いかがお過ごしでしょうか。
あまりの暑さに蝉すらまだ鳴かないという事態です。何かありましたかね。
私はしばらく高熱に身体が動かず必要最低限内で過ごしていましたが、ようやく熱も平熱になりました。改めて独りの心細さを痛感しました。あちこちSOSを出してみましたが応答はありませんでした。やはり独りは独りで乗り切っていかねばならないことを思い知らされました。
まぁ、私には南無阿弥陀仏がありますのでね、そんなに悲観することではないのですよ。
なるようにはなる、そんな今日この頃です。
しかし持病持ちだから重症化しちゃうのかなぁなどと思いましたが、阿弥陀さまはまだまだやりなさいとのご催促でありました。
人間にとっての最終的な問題と思われていた【命終】は、すでに阿弥陀さまのお力で解決されていますので、それをそう素直に思えるように常日頃からお聞かせいただくのが【仏法聴聞】というのです。
『阿弥陀経』には、
「念仏をとなえて心乱れずに臨終に仏さまのお迎えをうけて往生する」と説かれていますが、親鸞聖人はこの念仏を自力の念仏とされています。
人間の心に用事がなくなるを【他力】という。
人間の身のままで、仏さまの中に生きるのが他力なのです。
ですから、考えてみてもわからないのです。
お聞かせいただくしかないのです。
聞いたつもりでは他力は知らされません。
今の自分が正しいのかは生きていかねばわかりません。嫌でも踏ん張って生きていかねばどうにもならないのが人生。
もう私の命は仏さまにとられたそんな命なんだと思います。
み仏の誓いを信じ、尊いみ名を称えつつ、強く明るく生き抜きます。
南無阿弥陀仏
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