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父の寂しさを思い返す

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

「老患の抑えた声の念仏が、幽かに聞こゆ消灯時間」(朝日新聞 寺下吉則)


ナンマンダブツ、ナンマンダブツ•••••

これみよがしに大きな声で称える念仏ではありません。

一人称え、一人味わい、一人喜ぶお念仏です。

お念仏は、阿弥陀さまが「あなたと私はいつも一つですよ」と、私に寄り添っていてくださること。


「一人ではない、親がここにいる」という仏さまの名のりです。


「そのまま我(阿弥陀)にまかせなさい」という

仏さまの喚び声です。


老いの身体、思いの身を病院や施設で過ごしながら、尚、有り難いと喜ぶお念仏です。


消灯時間、お念仏を聞いたこの歌の作者は、これから生きていく自分の人生と、この老患の姿を重ねて、他人事ではない老•病•死の人生の厳しさを思ったことでしょう。

その厳しさをそのままに受け止めて、お念仏を称える老いた患者のおだやかな姿に、お念仏の救いを感じたことでしょう。


仏さまが私に来てくださったのがナンマンダブツです。それゆえに、ナンマンダブツのお念仏は、仏さまのはたらきを私がしているのです。

そこに自ら、そのお念仏を聞く人をも救うはたらきがあります。


救われた者の御恩報謝のお念仏には、他人に、このナンマンダブツのお念仏のお徳を伝え、他人をも救うはたらきがあるのです。


父が亡くなった時、手の甲だけ赤くなっていたのが不思議でした。妹に聞くと、「お父さん、夜が長くて辛かったみたい。だから、きっとあと何時間って爪で数えていたんじゃないかな。」って言ってた。

長年、住職を勤めてきたナンマンダブツの父がどれだけ辛い思いをしていたのかを思い知らせるエピソードです。


どんな人間でも、やはり死にたくないし、寂しいのですね。阿弥陀さまに抱かれてあるとしても、煩悩具足の凡夫の身はこのような生き方なんだなぁ、と私の入院時のことを思い返しながら味わったのでした。


皆さま、これは他人事ではありません。

必ずその時はやってくるのです。

ナンマンダブツをいただいていてもこうなるのに、いただいていない人の悲しみ、苦しみ、寂しさはきっと半端ないものではないでしょうか。

どうぞ、まだナンマンダブツの申されていない方は、1日も早くお念仏が申せるあなたになってくださいませ。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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