皆さま、おはようございます。
昨日は大変なニュースでしたね。
正月気分が吹っ飛んでしまいましたね。
そう言えばかつての神戸淡路大震災も、1月16日、つまり親鸞聖人御正忌報恩講最終日でありました。まだお正月気分が抜けない時に神戸、関西を襲った大震災でした。
高速道路が崩壊しバスが落ちかけるニュースが印象的でした。
あの時のバス運転手は龍谷大平安高校のバス運転手になっているのをご存知ですか。
あの時は災害ボランティアで3回、東灘区まで行きました。今はもうすっかり復興していますが、1月に起きたことを思えば懐かしく感じます。あの頃は私もまだまだ若かったです。
まだ生きることにぼんやりしていたお恥ずかしい頃でありました。たしか「六甲庵」という拠点だった。北海道のご寺院さんが中心にボランティア活動をされ、東京からも青年僧侶協議会がお手伝いしました。
あれから時間が経ち、東日本大震災もあり、同時多発テロもありました。海外旅行へ行く3日前でした。アメリカ本土へ行く夢は夢のままとなりました。
そう、生きていくということは常に有ることばかりなのです。私たちは地球の上に住んでいて、日本は4つのプレートの上にある。
今回起きた石川県能登大地震は、まさにプレートの間際で起こりました。
活断層が10余りある地域で起きました。
これは他人ごとではありません。
私が住む入間市近くには、立川断層帯があり、名栗から青梅を通り立川まで約33キロに渡って活断層があるのです。
これが動けば入間市も大きな災害を受けることになります。つまり他人ごとではないのです。
それが今日動くか、明日なのか、来年なのかはわからないけど、2030年までに~20パーセントの確率で起きるだろうと推測されている。
まさに、
明日ありと、おもう心のあだ桜 、夜半に
嵐のふかぬものかは
であります。
無常世界に生きる私たちは「生こそ偶然、死こそ必然」を生きていることを忘れてならない。
それでも、おみぐじを引いて「大吉だぁ、やったぁ、何だ凶かよ」と、一喜一憂して生きることしか知らない私たちに仏教がさまざまなことを教えてくださいますので、火宅無常の理についてご紹介します。
さとりの岸に立って、迷いの海に沈んでいる人々に呼びかける仏の言葉は、人々の耳には容易に聞こえない。だから、仏は自ら迷いの海に分け入って救いの手段を講じました。
ある時、ある町に長者があって、その家が火事になった。たまたま外にいた長者は帰宅して驚き、中にいる子どもたちに声をかけたが子どもたちは遊びに夢中でその声に気づかない。
長者は、子どもたちに向かって「子どもたちよ、逃げなさい、家を出なさい」と叫んでも子どもたちは気づかない。
子どもたちの安否を気遣う長者は、こう叫んだ。「みんな、ここに珍しいおもちゃがあるよ、早く出てきて取りなさい」と。
子どもたちは、おもちゃと聞いて勇み立ち、火の家から飛び出して災いから逃れることができました。
この世はまことに火の家です。
家の燃えていることを知らず、焼け死ぬかも知れない恐れの中にある。
だから、仏さまは大悲の心から限りなくさまさまに手段をめぐらして人々を救うのです。
気づかない、いや気付こうともしない、どうすればいいかもわからない私たちに阿弥陀さまは先手のお救いを講じました。信じたら救うではなく、信じさせて救うはたらきであります。
気づかない私たちにどんなに真実を教えても自らの殻に閉じこもってしまうのだから仏は地団駄を踏むばかりであります。
だから、先手の救い、南無阿弥陀仏であります。姿の仏ではなく、声の仏となられました。
声は暗かろうが見えなかろうが受け取れます。
知ることが出来ますよね。
だから、ナンマンダブツの声となって先手のはたらきで私に来て下さるのです。
皆さまは、南無阿弥陀仏の声を聞いたことありますか?聞いたことがあれば、阿弥陀さまはもうあなたのところへ来てくださっているのですよ。「まかせよ、救う」と。
後はおまかせして、ただお念仏を我が声にしていただくだけであります。
それで私の「死の解決」は用事が済みます。
今回の大震災は、正月気分に浮かれている私たちへの自然からの警告かも知れません。
富士山もいつ突然噴火するかも知れません。
地獄の沙汰となるかも知れません。
決して私たちの都合のいいようにはなりません。
祈願や厄除けだ、なんて呑気なことにうつつを抜かす前に、私たち人間のために、死ぬまで煩悩から離れられない【凡夫】のために仕上げられた南無阿弥陀仏を我が声にいただいてください。【死の解決】を済ませておきましょう。
そうすれば後はただ、今を精一杯に生きていくだけですから。
私の座右の銘をご紹介します。
【無常迅速 生死事大】であります。
(むじょうじんそく しょうじじたい)と読みます。
まさに我が命はこのままであります。だからこそ、一人で生きていくには辛すぎます。
ご一緒に歩んでくださる阿弥陀さまを我が身にいただいて南無阿弥陀仏を灯として今年も生きていきたいものです。
南無阿弥陀仏
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