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執筆者の写真超法寺の住職

母情仏心

皆さま、こんばんは。

二度目の書き込みになります。

たまに苦労して書いたのに消してしまうことが悲しいですが。


今日は出張で新大阪まで来ています。

今夜はゆっくり寝て明日の京都での布教に備えたいと思います。

明日は全国布教同志会の法話会であります。

西本願寺で親鸞聖人御生誕850年、立教開宗800年慶讃法要が勤まります。

その法要日に合わせての布教大会であります。

是非、お時間がありましたらお聴聞ください。[顕道会館]で16時30分〜18時です。


私を含め3人の布教使がお取次をします。

順番は明日決まるようです。

私は[母情仏心]という講題でお取次をします。さわりをご紹介しますね。


お母さんが「気をつけてね」と言いました。

私は「はい、行ってきます」と言いました。

「気をつけてね」のお母さんの言葉が私についてきました。

学校にいる時もついてきました。

学校から帰るまでついてきました。

母の温かい言葉が、子どもの私に残っているのです。挨拶は大切なのでしょう。

この母の「気をつけてね」には母の我が子を想う親心があるのでしょう。

(中略)

わがままで、地獄や餓鬼や畜生の恐ろしい根性を持つ私の姿を知っている阿弥陀さま。

そんな私だからそれでも、それでもと喚び続けてくださる阿弥陀さま。

迷いを知らない私のために西方にお浄土を建立して、二度と迷わせない、しあわせにする浄土に私をうまれさせて二度と輪廻転生しない仏の悟りにすると誓いはたらき続けておられる阿弥陀さま。


それなのに、自分は賢い、間違いないんだと阿弥陀さまをはねつけ、疑い、背を向ける私。

そんな私だというのに、阿弥陀さまは見捨てず、そんなあなただから私は「そのまま」あなたを救う仏になったのだと言われます。


南無阿弥陀仏と声の仏となり、目を伏せる私に届いていてくださるのです。


我が母は、私が子どもの頃から「お兄ちゃん、お念仏言ってね」が口癖でした。

本当に耳にタコができるほど母は言いました。

(中略)

南無阿弥陀仏が身についたのがお念仏です。

いつも耳に聞き、口に称えるのは、ただナンマンダブツ、ナンマンダブツですが、その中に阿弥陀さまのすべてが込められているのです。


死ぬまで煩悩から離れられない私は、あらゆる神仏から見放され、とても救われる存在ではないのです。

その私を阿弥陀さまは、頼まない、聞かない私に先手を打ち、救いをすべて南無阿弥陀仏に込めて届けていてくださるのです。


私を必ず救う!の願いで仕上がっている仏さま、それが阿弥陀さまなのです。


私は我が母は実は仏さまではなかったかと思っています。素直になれない私。南無阿弥陀仏が称えられない私のために、わざわざ愛するお母さんとなって私のために現れてくださったのではないかと思えてなりません。

きっと皆さまのお母さんもそうではなかったのでしょうか。

そう思えば、私に南無阿弥陀仏を?

聞かせる縁を結んでくれたことに合点がいくように思えてなりません。


このようなタッチで明日はお取次したいと思います。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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