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浄土真宗の年賀状

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

毎年思うのですが、浄土真宗のご縁をいただく方からの年賀状と言うのに何故か「お祈り申し上げます」と言う文面の年賀状をいただきます。この方は本当に浄土真宗のみ教えを仰いでいるんだろうかと、新年早々悲しくなるのです。

ま、皆さまはもちろん大丈夫だと思いますが。

年賀状を出す前にもう一度、自分の書いたものを確認したいものですね。

そうしませんと、せっかくの年賀状が台無しになりますよ。


阿弥陀仏の本願念仏の教えは、「祈らない宗教」、祈りのない宗教、そして【祈る必要のない宗教】です。


親鸞聖人はご和讃に、

「仏号むねと修すれども、現世を祈る行者をば、これも雑修(ざっしゅ)となづけてぞ、千中無一(せんちゅうむいち)ときらわるる」

と、仰っておられます。


【お念仏が大切だと称えても、そのお念仏でこの世の利益を祈る者は、お念仏を自己の欲望を満たす道具にしている。そういう人は、千人のうち一人もお浄土に生まれることができない


親鸞聖人が「現世を祈る」と言うことを厳しく戒めていることがよくわかりますよね。


浄土教は、私が祈り願う前に、私の救いを自らの生命と願われた阿弥陀さまが、その願いを力と仕上げて【ご本願】、ナンマンダブツと私の上にはたらいてくださるお念仏の教えであります。


◎仏の願いを私が聞く。

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仏の願いを信受する教えなのです。


💮人間の祈ることや願うことは全て人間の我執我欲(がしゅうがよく)だと否定するのが仏教であります。


お念仏をお称えする人は、「祈る」と言う言葉は使わないようにしたい。


だからこそ、年賀状も「祈ります」→【念じます】もしくは【願います】と書いた方が年賀状をもらった方はお喜びになられるのではないでしょうか。

少なくとも超法寺住職はそう思います。


◎もちろん初詣も、祈るために行くのではなく、【新年の御礼】を申すために参るのです。


「われは子にどんな背中を見せしかと、ふと思いたり秋の夜更けに」(和歌山市 畑中さん)

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今からでも遅くありませんよ。お寺参りをするあなたの姿を見せてあげてください。

お仏壇の前に座り、ナンマンダブツとお念仏を称える姿を見せてあげてください。

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我が子に何を残すのですか。


そういうことを厳しく考え行動するのが、仏法聴聞するということだと思います。

孫さんにもよ〜く見せてあげましょうね。

私には見せたくても見せれる子や孫はありませんから。あるのでしたら見せてあげましょう。

そして、新年のご挨拶は、「あけましておめでとう、ナンマンダブツ」でありますよ。

「お前はいくつになるんだ?」良かったなぁ。

はい、お年玉。これが大事よ。


おやすみなさい。南無阿弥陀仏


※除夜の鐘は是非、築地本願寺へ。また初詣も築地本願寺へお参りしてください。

もちろん超法寺へお参りくだされてもいいですよ。

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