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故人の願い(お盆の意味)

更新日:2023年8月5日

皆さま、おはようございます。今朝も激暑ですね。クラクラします。

いよいよ盂蘭盆です。

皆さまお墓参りされますよね。

でもそれだけですか?

大切な仏縁、そもそも亡き人、ご先祖が皆さまに望んでおられることに背を向けないでいただきたい。


故事に地獄の釜が開いて3日だけ帰ってくる。こんなことを本当に信じているのですか?

人が亡くなれば天国で、天国へ行ったはずの人がどうして地獄から帰ってくるのでしょうか。

あべこべなことを21世紀の今も人々は受け入れているのだから悲しいものです。


仏法を聞けばおのずと真実が知れます。

聞かないから自分の生きる道がわからないし、だからこそ亡き人、ご先祖の今がわからない。


お盆参りでお寺さんからお盆のいわれを聞かなければ地獄の世界がわからない。

わからないから地獄行きの生活を普通にしてしまうのです。

地獄行きの人生を送った人がその人の徳で仏の世界へ行くことはございません。


超法寺では、皆さまに真実の道を歩んでいただきたくお参りの依頼をお待ちしております。


この度は、「お盆とは何か?~急ぎの念仏~

」をご紹介します。


【子の幸せを願い立派な仏弟子にまで我が子を育てた目連尊者の母は、なぜ、どうして餓鬼道に堕ちたのであろう】


餓鬼🟰ガキ🟰足ることを知らないものが行く


堕🟰仕掛け、はかりごと、罪悪など、抜き差し

ならない状態にはまりこむ。


落🟰上から下へ急に位置が変わるとき。


親が子の幸せを願って餓鬼道に堕ちる。

子の幸せを一途に願う母親の仮の姿か、はたまた、これこそ母親の実像であるのか。


堕ちてなお、我が子の幸せを願う母の悲恩に報いる道は、神通力第一の目連の力をもってしても、いかんともし難いとお経は語ります。


○私はお盆(盂蘭盆)を単なる先祖祭りに終わらせてはならないと思う。


親鸞聖人は、【思うが如くたすけとぐることきわめてあり難し、この慈悲始終なし】と絶句され、遂に【念仏して急ぎ仏(ぶつ)になる】

道に遇うと仰っています。


急ぎ🟰自分こそ救われねばならない身と知る「急ぎ」(亡き人をふびんに思ってもいかんとし難いことを軸に)


【念仏せよ、念仏して急ぎ仏になれ!それは阿弥陀仏の声であり、それを聞いてくれと亡き人、ご先祖は願っているのだ!】


ここを尋ねることなくば、いくらお墓参りしても、私の真実の道はわからず終い。

それでは何のために生まれ難い人間に生まれたか意味がなくなってしまう。

それを危惧して、仏法を聞いて南無阿弥陀仏を称える人になってくれと故人は、ご先祖は皆さまにはたらき続けておられますよ。


いいですか?

南無阿弥陀仏を声に称えて生きていくことが、私たちができる【先祖供養】です。

浄土真宗ではあまり使わないですが、敢えて使えば南無阿弥陀仏を称えることがご先祖が一番喜んでくださることなのです。


手を合わせ、黙ってお参りするんじゃないよ。

ナンマンダブツ!と声にすることに意味があります。

浄土真宗は【報恩のお念仏】と言います。

有難うは声に出しますよね。

だからありがとうと思わない人は黙ってお参りしてしまうのですよ。


南無阿弥陀仏を称えて生きていくのが浄土真宗の道であります。


しかし暑いですね。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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