皆さま、おはようございます。
今朝はめちゃくちゃに冷えています。
新潟県ではまた雪により立ち往生が再発してしまいました。ドライバーの方には不安なことと、お見舞い申し上げます。
もし電気自動車に乗っておられたら命の危険すら考えられるので、やはりまだまだ電気自動車は購入しにくいと思います。
雪道を走る際には、非常時に備えて食料品や飲料水、防寒具(カイロ、毛布など)を車内に常備する癖をつけておきたいものですね。
明日は我が身かもしれませんからね。
さて、おかげさまで今月もたくさんの仏縁をいただいています。
また事務仕事が疎かになっています。
また追い込まれないとやれないんだな。トホホ
今朝は皆さまに日頃からお伝えしています【浄土真宗とは】についてご紹介します。
【浄土真宗とは、浄土に生まれる道を明らかに示した真実宗教】という意味です。
だから、お寺に参ったから病気が治るとか、お金が儲かるとか、受験に合格するとかは一切ありません。
もちろん年末年始に厄除け大師のCMが連日流されますが厄除けなど人間として生きているならば避けることは不可能であります。
私たちの自分勝手な願いなど真実なる神仏が聞いてくれるはずないでしょ。
だって年末ジャンボ宝くじを当てたいと祈願したとして、一体いくらお賽銭しますか?
100000円[十万円]くらいしますか?
しないでしょう。いいとこ奮発して100円じゃない?
では皆さまは、誰かに100円あげるから願いを聞いてって言われたら聞いてあげますか?
きっと、「バカにすんな」って怒るはずです。
それを神仏にお願いするってどうですか?
実に厚かましいですよね。
それを毎年、年末年始にしているんですよ。
神仏の言うことなんか全く聞かないくせに。
こういうことは真実とは言わないのです。
だから、浄土真宗では占い、まじない、加持祈祷、姓名判断、日の良し悪しなどは一切しません。
【ただ浄土の教えを聞く】のです。
それでは阿弥陀如来はどうして浄土を説かれたのでしょうか。
それは、人間は死ぬからです。出会った者が別れていくからです。人間にとって一番辛いことは【死ぬ】ことと【別れる】ことだからです。
朝から一生懸命に歩いたり、ジムで汗を流したり、結局は健康でありたい=死にたく無い。
どれだけ身体に気をつけても、鍛えても、サプリメントを多用しても、素晴らしい薬を飲んでも、お金を持っても、どうしても逃れられないのか【私は死ぬ】という事実なのです。
どんなに若かろうが、元気であろうが、娑婆の縁が尽きたならば死んでいかねばなりません。
『歎異抄』に、
[名残惜しく思えども、娑婆の縁尽きて力なくして終わるときに、かの土へは参るべきなり]と、言われています。
人間は、死にたく無い、生きていたい。
いくつになっても生きていたい、そういうものです。
その人の苦悩を見抜かれて阿弥陀如来は、ご本願を誓われ、永い時間(五劫)思案して、行を重ねて(永劫)浄土を建立されました。
阿弥陀如来は、おっしゃいました。
「死んで終わる人生じゃないぞ。必ず仏となりこの世に帰ってくるあなたにするぞ。」
↓
その仰せを聞いて、
「ハイ、有難うございます。阿弥陀如来の仰せのままにおまかせします」
↓
こう受け止める私になる。(信心)
しかし悲しいかな、多くの人たちは、浄土を信じません。自分で確認できたものしか信じません。
都合の良いものにしか興味を示しません。
では空気は見えますか?
携帯の電波は見えますか?
テレビの電波は見えますか?
引力は見えますか?
空気がなかったら生きられません。
引力がなかったら、こりゃあ恐ろしい。
では、どうやって阿弥陀如来を知るのでしょうか。
それは現実におられたお釈迦さまの言葉(説法)、お経を通して聞くのです。
ここにこそ真実があるのです。
何もわからない、知らない、いや知ろうとも思わない私たち人間のために、阿弥陀如来は仏の側で仕上げてある他力の道を明らかにして、私たちに常に届けていてくださっているのです。
それは、南無阿弥陀仏という声となって届けられてあるのです。
これは呪文でも、引き換え券でもありません。
堕ちる私をお見ぬきくださって、私たちに目覚めを促しておられるのです。
それはまるで親が気づこうともしない我が子に願いをかけ、気づいてくれよと、あれこれしながらご苦労くださる様と同じようであります。
阿弥陀如来は、まるで親のようなはたらきで先手を打っていてくださるのです。
はねつけても、背いても、それでもそれでもと諦めずにはたらき続けてくださるのです。
そのおいわれを聞いて、私が私である本来の姿を聞いていく中で真実なる道を明らかにしていくのが浄土真宗ではないかと私はお味わいしています。
今日もまた、南無阿弥陀仏のお喚び声をお伝えしていきたいですね。
み仏の誓いを信じ、尊いみ名を称えつつ、強く明るく生き抜きます。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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