常識を超えた道

皆さま、こんにちは。

週末はかなりお天気荒れるようです。

春一番がありそうです。

さて、あのチェルノブイリ原発があるウクライナで、欧州最大級の原発をロシアが四方から攻め立てているそうですね。暴挙としか思えませんね。

平和の祭典が始まるというのに。

人間の欲望というものが暴走しています。

ロシア、ウクライナ共にフェイク情報を出し合い戦争を有利に進めようとしています。

これに対して私たち日本人は責めることはできない。なぜなら先の大戦で我が国もしていたからです。欺くことの愚かさは常に人間の生き方にはつきまといます。


さて昨今の葬儀では、「法名授与」が当たり前に行われていますが、本来の「仏弟子=仏法を聞く人」になれている方はどれだけおられるのでしょうか。

寺院の住職が精一杯意味合いを考えて法名授与しても、本来の仏法聴聞する人になられたか•••超法寺ではまだございません。

人間が誓うこと=反故にしていませんか?


私自身もお恥ずかしくて•••確かに結婚式で阿弥陀如来さまにお誓いしたというのに❌がついていますからね、説得力はありません。

それでも授与する法名には必ず浄土真宗のみ教えを取り入れてお伝えしています。


最近少しずつではありますが生前法名授与を希望される方からの相談を受けるようになりました。

現実、現状を理解しながらもきちんと浄土真宗のみ教えを伝えていくことこそが私のすべきことではないだろうか。また法名は、ずっと皆さまの代々に残っていくもの。

だからこそ、一つ一つ大切にしていくことが大事なのでしょうね。


「俗名」のままでもいいでしょ、は悲しい。


ここに満足してしまったら、阿弥陀如来さまに救っていただいたとしても嬉しくなんかないのかも知れないよね。


「仏のことは、ほっとけ」


という人ほど、お盆や命日には故人が気になってしかたないのにね。だったら放っておかずにきちんと訪ねて生きていきたいものですよね。

だからこそ、いつでも訪ねられるように「法名」をいただいておきたいものですよね。


帰敬式を受けるのは嫌なのに、冥加金が高いと言われる•••何かなぁ、と感じるのは私だけでしょうか?


恩師、天岸浄圓師は、自分たちの常識にあてはめて理解、納得が、できれば信ずる。できないものは信ずる価値がないと言い切ることは、人間知性の傲慢(ごうまん)としかいえません。

もし、この姿勢をつづけるかぎり「お経」のことばは私の人生をささえてゆくものとは決してなりません。とおっしゃいます。


仏教が目指す世界は、私たち人間が決して超えていくことのできない〈老、病、死〉を自身の問題として真正面から向かい合うところにあるのではないでしょうか。


そして、私自身の生、死でありながら、その生も知らず、死の彼方を知ることも許されない凡夫(死ぬまで煩悩から離れられないもの)に、大悲をこめてお念仏(南無阿弥陀仏)を支えとして生きよ、そして極楽の浄土を目指して生きてゆけ!むなしく死ぬとは思うなと教えとされたのが、西方の極楽を説きたもうた仏意であったのでしょう。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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