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執筆者の写真超法寺の住職

永ちゃんのように

皆さま、こんばんは。

今日はよく降りましたね。

すっかり寒くなりました。

半袖は厳しいですね。

冬支度しなきゃいけないですかね。


こういう時は体調を崩しやすいからご用心でありますな。


さてブログに書きましたが今日は事件になりそうな出来事がありました。今でもヒヤヒヤしていますよ。本当に気をつけないと彼らの思う壺になるかも知れません。

油断せずに今後も気をつけていきたいです。


もうかれこれ実家のお寺を退職し、一念発起して首都圏都市開教に身を投じてからは、常にタイトロープ状態でここまで来ています。

激励ではなく•••失格者の烙印が常に私に突きつけられています。

たしかに私はお参り以外は何もやらずに生きてきましたから何も出来ない。

全てが新鮮ですが、そのこともあり失敗や問題もたくさんしてきましたね。

誰も助けてくれずに一人で悩み、苦しみ、立ち回ってきました。


50を過ぎても未熟で何もわからず生きている。

本当にお恥ずかしいばかりです。

「仕事は自分で探してください。」と言われる中、本当に仕事がなく、探し方もわからない。

ネットを頼りに駆使して必死で探してきました。そんな大きな仕事はなく、それでも皆さまが笑顔になってくださる姿がこそが私の日々の喜びでありました。

しかしながら現実は厳しく収入面ではギリギリまで追い込まれて生活の糧になるものすら手離し、父に激怒されたことも。


退路は私には無いのです。

お金は無いけど、情熱は捨てないよ。

この素晴らしい浄土真宗のみ教えを一人でも多くの方々にお伝えすること。

皆さまが悲しみの淵から立ち直るきっかけを与えられたら•••それが私の使命だと思います。


理想と現実はあまりに違うけど、阿弥陀さまから託されたことだから私は頑張れます。


日本ロック界のレジェンド、矢沢永吉さんが昔に言ってたことを思い出します。

【広島でいじめられて東京へ出てきて成功した時に、いじめていた人がライブに来て挨拶したそうです。その時に彼は「どちらさまでしたっけ?」と言ったそうです。】


また、スピードワゴンの小澤さんもこんな過去を語っていました。

【若い頃、やんちゃしていてリーゼントの僕は高校を3ヶ月で辞めて中卒だった。お婆ちゃん子だったが、お婆ちゃんの葬儀の時、中にも入れず、「ウチの家系で中卒なんて•••」と母がきょうだい達からなじられていた姿を見て辛かった。

そんな僕がM1決勝まで進んだ時に、おばさんが楽屋まで来て、「素晴らしいわ、自慢だわ。」などと言ったので、矢沢永吉さんの真似をして「どちらさまでしたっけ?」と言ったそうです。

でも、ウチの家系は能天気な人が多いから、おばさんも気にも止めずに「何よ、私よ、おばちゃんよ、忘れたの?」だって。

だから僕は矢沢永吉さんにはなれずに受け入れた、そうですね。


私は自分はこの先、もしお寺になれたらどうするのだろうか。

私を嫌い、排除してきた人たちに対してニコニコ笑いながら頭を下げるのでしょうかね。

それはわからないけど、今思うのは、数少ない私を応援し仕事を依頼してくれるご寺院のご住職や、超法寺を大切に思ってくれている門信徒さまには最大限の感謝をお伝えしたいですね。


そして何よりも、私が人生をかけてお返ししたい大谷光真前門さまに父の分も御礼申し上げたいのです。全てを投げ捨ててもこれだけは果たしたいのです。


笑いたきゃ笑えば良いさ。


今の私があるのは前門さまのおかげなのだから。


しかし、矢沢永吉さんは、やっぱカッコええわ。

広島県万歳だわ。

(私に流れる血は広島じゃけん)


今日もおかげさまでありました。

今日初めてお会いすることができた皆さまには感謝であります。

頼りなかったとは思いますが、私は精一杯させていただきました。

次があれば有り難く思います。

南無阿弥陀仏

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