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執筆者の写真超法寺の住職

「死」は怖いものですか

お葬儀の後に続く、初七日から満中陰(四十九日)に至る七日ごとの中陰法要は後に残る家族や親戚の人たちのよき仏縁ですね。


今までほとんど、お経や正信偈を読んだことのなかった人が亡き人を偲びつつ、お勤めされます。

仏事に遇う中に自分自身のいのちの行方(ゆくえ)を尋ね、仏法聴聞のご縁が開かれるのです。


ある人が「ごえんさん(住職)はご自分の死を考えたことあります?」と尋ねられました。

「ははあ、この人も後生(ごしょう)が心配になったのだな」と感じましたので、「ええ、ありますよ。特に歳を取ると毎日のように考えますよ」と答えました。


「へえ、毎日ですか?死は恐いものですか?」「うん、恐いとは思わんが、淋しいね」と申しました。

「恐いとは思わない理由を聞きたいですね?それと淋しさをどうしたら乗り越えられるのでしょうか?」と質問が続きます。

そのやり取りを他の人たちも耳をそばだてて聴こうとされたので、少し大きな声でお答えしました。


生まれた以上は、いつか必ず死なねばならない。これはお釈迦さまから教えられた逃れ難き真理ですね。しかし、一切の者は皆、縁によってつながっている。だから、命終えて私が独りどこかへ消えていくのではない。如来さまの願いにより我らがお浄土に仏と生まれ変わらせていただく世界が開かれている。そこで、先に往かれた懐かしいお父さんもお母さんも皆、沢山の諸仏方が「おお、ご苦労だった」と抱き取ってくださる。

倶会一処(くえいっしょ)というお浄土の世界ですね。

だから、娑婆の縁はいとおしく、別れ難いけれど、この私も夜昼常に見守られていると思えば、「この人生を精一杯生きていこう」と元気をもらって生き切っていくことができますね。


お浄土からご先祖たちに励まされていると思えば、いつか別れねばならなぬ淋しさを乗り越えて生き切っていくことができるのではないでしょうか。


そんな話にうなずいた人たちのお顔は心なしか、ほっとした表情が浮かびました。

亡き方が還相(げんそう)の菩薩さまとなって我らを救わんと働きかけてくださっていることをお味わいさせていただきました。[渡辺悌爾師]


※一縁会テレフォン法話「阿弥陀さまの“おはからい”」より

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