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どこへ向かっているの?

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

皆さま、こんにちは。

今日は暖かな昼間でしたね。

この時間になるとやはりまた寒くなってきましたが。寒暖差で体調不良ならないように気をつけたいですね。


今日もおかげさまにて無事に貴院しました。

新たなお出会いをいただきながら、ナンマンダブツのお心をお伝えいたしました。

しばらく暇でしたので急にお仕事が重なりますと疲労度が半端ありません。

「老い」とはこういうものですかね。


充電しないといけません。

まだやることがたくさんあります。

また明日は朝イチで八王子でお葬式と、急遽仕事が入った行田市で新たなお出会いにあわせていただきます。


皆さまは、その口にナンマンダブツが声になっておられますか?

ナンマンダブツには三つのはたらきがありますら、1つには【仏がここにいる】2つには【そのままを我(阿弥陀)にまかせよ】3つには【そのままが仏になる因】です。


称えられている仏と共にある大きな安心。

しかし、まだまだそれを知らずに生きておられる方がたくさんいるようです。


あらためて子らに告ぐべきこともなし、子どもというは遠くに住むもの

「朝日新聞 下妻市 K)」


何か寂しさを感じるのは私だけでしょうか。

現代の高齢者は、こんな思いでいるのでしょうか。子どもに伝えるべきものは何か。

何を子どもに残すか。

今こそ真剣に考えるべきではないでしょうか。


心療内科医、星野仁彦さんの『機能不全家族』という本には、

○犯罪者の多くは幼児期から暖かいぬくもりがない家庭で育ち、母親の包み込む愛情による「安心感」や、信頼できる父親による「規範意識」のしつけが欠如しています。


○母親への甘えを抑えていた子どもの不登校。幼児期に母子関係において愛情独占欲求が満たされていない。話を聞いて欲しい時に聞いてもらえる、抱っこしてもらいたいときに抱っこしてもらえるという安心感がとても大切です。

親にとって「手のかからないよい子」になりがちなのです。あまりに「お利口な」子どもであることは、むしろ危険信号と思ったほうごよい。


○母親がいつも父親の愚痴を子どもに聞かせる。夫婦喧嘩が絶えない。男の子にとって父親が「尊敬される対象になっていない」家庭が危険です。


父親が男の子に教えるべきことは三つあります。

①性教育②規範意識と道徳意識③人生の目標意識


いかがでしょうか。知らず知らずのうちに子どもに余計なことばかり聞かせていませんでしょうか。子どもはそういう親の言動に悩み苦しんでいるという自覚を持ちたいものです。


少なからず私も実はこのような家庭環境に生きながら、長く悩み苦しんできました。

それから脱却することができたのは、真摯な仏法聴聞でありました。

自分勝手な偏見で仏法聴聞してもいけません。

私の側には真実などないのだから。

私の好きだ嫌いだでお聴聞しても自己満足でしかなりません。

私の本当の姿は、そのまま私をお慈悲の水につけるしかないのです。


どうかそれに気づいていただきたいですね。

その上で、私の人生についてご家族に語りかけていただきたいですね。


祖母に「おばあちゃん、人間死んだらどうなるの?」と聞いたら、


「わしらぁの、ナンマンダブツを称えて阿弥陀さまのお浄土へ生まれるんじゃ。だからのう、おばあちゃんが死んだらお前もナンマンダブツとお念仏を称えてお浄土へ生まれさせていただきんさい。そしてナンマンダブツの声をおばあちゃんだと思いんさい。」


おばあちゃんは広島の人でしたので広島弁で言うてくださいました。


これこそが浄土真宗のみ教えに遇った大人が子どもや孫に伝えておくべきことではないだろうか。伝えるには自らが日頃から真摯にお寺参りをして、仏法聴聞を心がけていくしかありません。暇があったらとか言う人はお寺には参れません。

蓮如上人は、【暇をかぶりて聴聞すべし】と、仰います。

暇があったらではなく、暇を作ってと仰っているのです。


大切にしたいですね。

南無阿弥陀仏

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