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執筆者の写真超法寺の住職

もう忘れたかしら

皆さま、こんばんは。

2022年もラストスパートです。

皆さまはそろそろ「メリークリスマス」と「あけましておめでとう」の準備にあくせくするのでしょうか。

私たち浄土真宗は宗祖親鸞聖人旧暦のご命日に合わせての【報恩講】が近づいてきました。


コロナ禍の中にまだまだ私たちを身をおいていることを是非ともお忘れなく行動をしていただきたいと思います。

忘れてしまい浮かれてしまったがために隣国では尊い若い命が奪われてしまったのです。

隣国では、どうして若い子どもたちの尊い命が多数奪われてしまうような事故が繰り返されてしまうのでしょうか。


忘れもしませんよ。あのセウォル号沈没事故。

2014年4月16日に乗員乗客299名が死亡、

行方不明5名、捜索作業員8名、という甚大な転覆事故でした。

あれからまだ8年しか経っていないのに•••。


あの梨泰院(イテウォン)でハロウィンイベントで狭い路地に人が殺到して155名もの若者が亡くなった。中には圧死して立ったまま亡くなった人もあったという悲惨な事故でした。

このコロナ禍で(ソウルはコロナ禍じゃなかったの?)ありながら、どうしてこのような密集してしまったのだろうか。

単純に155名の子どもが亡くなったことで310名もの親が悲哀のどん底に叩き落とされてしまったのですね。衷心よりお悔やみ申し上げます。

南無阿弥陀仏。


ニュースでは蘇生作業をしている傍で、「さて、どこで飲みなおそうか」などと通り過ぎた若者がいたそうですよ。他人事で悲しくも辛くも驚きもしない輩がいるなんてまさに地獄の沙汰じゃないのかな。

人間って悲しいです。


さて、最近では「人生100年」と、あたかも誰もが長寿を約束されているかのような錯覚に陥っている気がします。そんな時代の中で果たして人生は、「長さ」の問題なのでしょうか。

私は問わずにはいられません。


仏教は、智慧の宗教です。

智慧とは、意味を発見すること。

めざめ、生きる意味を発見する日々であります。


だからこの悲劇も私たちは何かを発見していく機会を与えられたのではないでしょうか。

傍観者にはならずに、今こそ自らが自らに問うていただきたいですね。


【老いて日々新たなり。老いることに深い喜びを

知らせていただく】


最後にギリシャ神話の中に、

《トロヤの王子チトーノスは、美男で、あけぼのの女神にみそめられ、夫となり、子どももできたその時、神に【不死】を願って許されましたが、永久に若さを保つことを願うのを忘れたのです。

やがて老い、髪も白く、手足も不自由になったこの夫は、妻の女神によって一室に閉じ込められて、いつまでも、いつまでも泣き続けました》とあります。


私は考えさせられました。

皆さまはいかがでしょうか。

ここでもやはり【忘却】がキーワードでしたね。


ニュースは、私たちに何を問いかけ、何を気づいてくれと語りかけているのでしょうね。

ビッグイベントを迎えるにあたり、もう一度よく考えてほしいですね。

明日は我が身かもしれません。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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