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正満寺通夜参拝

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

皆さま、こんばんは。

今夜は平成元年から2期にわたり千葉県の浄土真宗本願寺派寺院のリーダー(組長)[そちょう]として大変にお世話になりましたご住職の通夜でした。若先生とは中央仏教学院のクラスメイトとして出会い、今までお付き合いをさせていただいています。生前のご恩返しに明日の葬儀までお参りさせていただきます。


今夜は流山おおたかの森にお泊まりです。

久しぶりに会う千葉県のご住職さま。

懐かしいですね。私は千葉市のお寺出身ですから。お勤めは「讃仏偈」、「仏説阿弥陀経」、法話「柏市西方寺住職」、「ご文章 白骨章」でした。

ご法話では、「如衆水入海一味」

現代語訳/凡聖逆謗斉しく迴入すれば、衆水の海に入りて一味なるが如し


「凡」とは、凡夫、

「聖」とは聖人、

「逆」とは五逆罪の悪人、

「謗」とは謗法罪を造っている極悪人、


「凡夫」とは私たち人間のことです。

「聖人」とは親鸞聖人の聖人ではなく、

凡夫に対して、ある程度さとりを得て、凡夫のような荒っぽい煩悩を出さないように努めている人、自分の心を相当コントロールできる人を、「聖」と言われています。


「五逆罪」とは、大恩ある親を殺したりする五つの恐ろしい罪を言います。その罪を造っている人を「逆」と言われています。


「謗法罪」とは、「法」は仏法のことで、仏法を謗ったり、非難することを言います。


「衆水」とは、さまざまな水ということで、川の水を煩悩にたとえています。

川には大きな川、小さな川、広い川、狭い川、濁った川、綺麗な川、色々あります。

「衆水の海に入りて」とは、必ず隔てなく海に注ぎます。海は分け隔てなく受け入れてすべて一味[塩]になります。


親鸞聖人は、人生の目的は万人共通唯一のものだという真実を明らかにされるために『正信偈』でそのように教えられているのです。

⚪︎無碍の一道

人間に生まれてよかったという絶対的幸福こそが人生の目的であると親鸞聖人は教えてくださいます。


そのお心をご住職はお取次くださいました。南無阿弥陀仏

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