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法事後の語らい

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

皆さま、こんにちは。

今日は秋晴れで風は冷たいけど過ごしやすくなりました。有り難いですね。

久しぶりにお参りへ行きました。

都内のリピート(ご指名)のご法事です。

悲しいご法事ではありますが、浄土真宗のご法事は他宗さんとは意味合いがだいぶ違うのです。それは常々お話していますが、亡き人は阿弥陀さまの大慈悲に救われてお浄土への歩みをいただいてまいります。

南無阿弥陀仏[我にまかせよ、必ず浄土に生まれさせ仏にする]との呼び声を聞いていくのです。


これは浄土真宗の方を救うはたらきではなく、あらゆる命に分け隔てなく呼び続け、はたらき続けてある他力のはたらきです。


「われ称え、われ聞くなれど、南無阿弥陀、つれてゆくぞの、親のよびごえ」(原口針水)


「如来の本願は、風のように身に添い、地下水の如くに、流れ続ける」(平野修)


このように阿弥陀さまの慈悲のはたらきを素直に受け止めて、喜んでおられる方々のお味わいがあります。

死ぬまで煩悩から離れられない(自分の力で悟りを開けない)者は死んだだけで天国にも行くことができません。

そもそも仏教徒は天国には行かれませんが。


人間が自分の力で悟るためには、男性で250、女性で350もの戒めを守らなくてはならない。これができないと自分の力では仏にはなれません。

つまりほとんどの人は死ねば仏どころか地獄行きであります。地獄に堕ちるほどの罪(悪行)を重ねて私たちは生きているのです。

戒めの基本が5つあります。

①嘘をついてはならない。

②殺してはならない(あらゆる命)

③盗んではならない(あらゆるもの)

④不倫をしてはならない(浮気も含む)

⑤お酒を飲んではならない。


さあ、どうですか?

一つでも守れるものがありますか?

この全てを克服するのは容易ではありません。

たった五つすら守れない私がどうやって仏になるつもりでしょうか。無理ですよね。

「さとり」を開いて仏になるためには先に書いたように250~350をもの戒めを守り生きていく•••••。

世の中を憂いで、修行するから10年間、探さないでくれ、と家を出た子どもさんがいたという話をお聞きしましたが、無理です。

10年くらい修行して悟りを開けるようならば神さまや仏さまなどいらっしゃらなくてもいいのです。

どうやっても、どう頑張っても、どうにもならない私がいるからこそ、仏の願い(本願)が起こったのです。


またそれが、既に仕上げられてある。

「弥陀成仏の、このかたは。今に十劫をへたまへり。法身の光輪きはもなく、世の盲冥をてらすなり」『浄土和讃』


願いは既に完成され、阿弥陀さまが南無阿弥陀仏を称える者を必ず浄土に生まれさせて仏にならしめん、と仰っておられます。

ですから今更頑張って修行する必要などないのです。

宗教心や信仰心もないから、その親心がわからない。

親が身をかけて仏法を聞いてくれ。阿弥陀さまの願いを我が願い「両親」と思って、わからなくてもいいから、どうか南無阿弥陀仏と称えながら日々を生きてください、そう受け取りましょう。


お昼をご一緒させていただきながら、そのようなお話をさせていただきました。

皆さま、ニコニコと笑顔で聞いてくださいました。こういうひと時をご一緒させていただけるって、とても良い時間だったと思います。

寂しいでしょうが、一緒にお念仏を称えながら乗り越えていきたいです。

なんまんだぶつ、ナンマンダブツ。


このようなご法事をお勤めしました。

これが超法寺のご法事です。

時間が許す限りご一緒いたします。

ご相談くださいませ。

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