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桜は綺麗だが散る

皆さま、こんばんは。

東京都は桜満開宣言だそうですね。

しかし明日は雨予報ですから散りますよね。

いつまで咲いていることでしょうか。

まさに儚いですね。

8日はお釈迦さまのお誕生日、花祭りです。

この土日に花祭りの法要を勤めるお寺さんが多いでしょうね。超法寺では写経会の日に花祭りを勤める予定にしています。


散る桜 残る桜も散る桜


何度もご紹介しますが、我が人生も例外ではありません。先日、同窓会便りが届いて同期生がお二人もご往生されておられました。

たくさんの思い出をありがとうございました。

南無阿弥陀仏に遇わせていただけます。

私の番になるまで私は頑張ります。


縁あればこそお会いすることができました。

N氏は高校、大学も同窓でありました。

これもなかなか不思議な縁でした。

あまり親しくはありませんでしたが、生前に私に一言卒業時に仰ってくださった言葉を今も忘れずにやってきました。


生きていくということは、誰かに借りを返すこと。誰かに借りたら誰かに返そう。


たくさんの借りをいただきながら私は生きてきました。それぞれが、それぞれに私に南無阿弥陀仏を寄せてくださいました。遇い難い【ご本願】に今、遇わせていただけたのは当たり前なんかじゃないよ。


声に姿はなけれども、声のまんまが仏なり。

仏は声のお六字と姿を変えて我に来る。

[広島県、高松悟峰師]


愚痴ばかりの私の口が南無阿弥陀仏と声となることが、私がこの世に生まれてきた本当の意味なのです。

せっかく浄土真宗のご縁をいただけたというのに、南無阿弥陀仏を称える私になれなかったら、どうしてご先祖さまがお喜びくださるのでしょうか。悲しまれますよ。


煩悩具足の凡夫たる私(死ぬまで煩悩から逃れることのない、諸仏に見捨てられた)のために、阿弥陀さまは先手の親心【他力本願】をもって喚び続けていてくださるのです。

【我(阿弥陀)にまかせよ、必ず救う】


まかせなさいなのです。

頑張りなさいなどとは仰っていませんし、思ってもおられません。

私たちは親が先手で動いていてくださったからこそ、今まで生きてこれたのですよ。

忘れないでください。


まかせる私にするために、阿弥陀さまは、ご先祖さまは南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と喚んでいてくださるのです。私たちのご先祖さまは、お骨になられたんじゃないんです。

南無阿弥陀仏の声の仏さまにおなりくだされたのです。

それは日頃からの仏法聴聞にこそ知らされていくものであります。

聞いてもすぐにわからない私がどうして聞かないでわかるのでしょうね。

分かるはずありませんよね。

だから葬儀や忌日法要、年忌法要を勤める中に少しずつ、少しずつ、知らされるものなのです。是非、怠らずにご法事を勤める機会を持ちましょう。


決して見捨てない阿弥陀さまと、いつまでも素直になれない私とのせめぎあいであります。

根比べです。

私が素直になって受け止めることが出来たら、私の口が南無阿弥陀仏と声となってくださいます。それがいただいた証拠であります。

それが他力であります。


自力では煩悩具足の凡夫は救われません。

疑いのお念仏でもやはり救われません。

疑っていたら親を親とは呼べませんから。

お父さん、お母さん、パパ、ママと呼べるのはおまかせした私だからそう呼ぶのです。

呼ばせてくれたのは他ならぬ我が親なのです。


どんなに儚い我が命でも、精一杯に生きていくところにしあわせがあるのです。

桜もすぐに散ろうが精一杯咲くのだから。

そういう思いを持ちながら今年は桜を見てみませんか。何かが変わるはずだから。


南無阿弥陀仏



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