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明日ありと

皆さま、こんにちは。

今日は寒かったですね。

ブルブルを気合いで乗り越えましたよ。


今日は川崎市まで仏縁をいただきました。

おかげさまで川崎市への道のりは慣れました。

最近ではすっかり高速でお参りに行くことがなくなりました。経費節減です。


さて、みなさんは亡き人はどこで何をされておられているかご存知ですか?

これは学校やTVでは教えてくれませんから、仏法(仏さまの教え)を聴聞するしかなかなか知る機会はありません。


一般的には亡き人は、天国に行っていると思われていますが残念ながら天国に行ける人はかなり少ないのです。

何故なら天国は神さまの国であり、仏の国ではありません。つまり別物なのです。

それから神の国、天国に生まれられる人は、神さまとの[契約](洗礼)を守れた人のみです。契約違反して人生を生きた人は行くことができません。


人間でもなかなか行けないのに、ペットが死んで虹の橋を渡るなど飼い主の願望であり、神は許されません。

ペットが救われるためには[あらゆる命]を救いの対象にしておられる仏さま(阿弥陀如来)におまかせする他には手立てはありません。


そこで分け隔てなく救われる道を皆さまには知っていただきたいと思います。

特に若い世代には、それを知ることで人生がより良くなるので是非お読みください。


【仏になる教え】

仏教とは、「仏の教え」を言います。

仏(ブッダ)とは、【さとった者】、【真実にめざめた者】のことです。


つまり仏教とは、【真実にめざめた者の教え】ということです。


真実にめざめ、さとりを開かれたならば、【苦悩する人々を導こうとはたらくようになります】

この真実にめざめた者とは、まず思い浮かぶのがお釈迦さまですね。


そのため仏教とは、【お釈迦さまの教え】であるということもできます。


お釈迦さまは真実にめざめ、それを言葉として説かれました。

お釈迦さまは、相手の資質や能力に合わせて説法されたことから、仏教には多くの教え、経典が存在しています。

八万四千ともいわれます。


数多くある経典の中でも肝心なことは、何よりも私に相応しい教えとは何かを尋ねることです。

そして仏の教えを聞いた者が真実にめざめ、仏になることが説かれることから、仏教とは、【仏に成る教え】であるのです。


とあるご縁を結ばせていただいた方が、生前癌を患っていましたが、「私はこの世の縁が尽きたなら、浄土に往生して仏さまにならせていただくんだよ」と、子どもさんたちに語っておられました。何と素晴らしいことですか。

しかしながら子どもさんたちは、その意味がよくわからなかったようでした。

その方のご葬儀で、ご本尊の阿弥陀如来と向き合ったときに、子どもさんたちは「この仏さまが母を仏にしてくれたんだ。母との別れは悲しくて辛いけど、南無阿弥陀仏の声がそのまま私たちを包んでいてくださるのがわかったような気がします」と、語っておられました。


子どもさんたちは、阿弥陀如来のはたらきによって、お母さまが仏に成られたことを受け止められたのですが、それと同時に

手を合わせてナンマンダブツと声にされて、「私たちも仏さまに成らせていただいてまたお母さんに遇わせていただくんだ」ということを知らされたのです。


悲しみ悩み深い私たちにとって、自分の力で仏に成るのではなく、仏の力【他力】によって、仏に成る道がただいま開かれているのです。

それは真実を仰ぎ、生かされて生きていると実感する生き方になるのですね。


※天国に行っても神にはなれません。ということはさとりは開けませんからまた、迷いのこの娑婆世界に舞い戻らねばなりません。

そうなるとまた苦悩の人生を生きることになります。だからこそ阿弥陀如来は、二度と苦悩しない、二度と別れることのないさとりの世界に自らが先手を打って私たちを南無阿弥陀仏のはたらき(他力本願)でお救いくださいます。

ですから、南無阿弥陀仏の声が私に聞こえるとは、亡き人が仏のはたらきとなって「今」私をさとりの道に誘うために喚んでいてくださるのです。


有難いですね。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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