昌平寺布教
- 超法寺の住職
- 5月20日
- 読了時間: 2分
皆さま、こんばんは。今日は暑くなりましたね。
さすがに衣も夏用にしましたよ。初夏の装いですね。
さあ、しばらく十月か十一月までか長そうです。
覚悟はいいですか。体調管理に気をつけてください。
さて今日は午前中、川越市でご縁をいただき、午後は所沢市の昌平寺の常例法座の
ご縁をいただきました。
お聴聞は多くはありませんでしたが、この暑さの中法座へ足を運んでくださり感謝。
法座後に茶話会があり、「難しくないお話が聞けると伺いお参りしました」とにっこり笑顔をくださいました。私は師匠ではありません。阿弥陀さまのお使いです。
ですから受け取れない話はしないように心がけています。
この度は「親心を知る」をテーマにお取り継ぎさせていただきました。
親鸞聖人や一休禅師、そして永六輔さんを題材にお話しました。
言葉だけではなく、あらゆる言動から察していく姿が大事だと思います。
親は我が子のためにあの手この手で親心を教えてくださいます。
その言葉を私の都合で聞いて受け取って行ったら残念ながら親心を知ることは難しいのではないでしょうか。
阿弥陀さまは、私の信心など当てにはされておられませんから安心なのです。
他力の世界はあなたまかせであります。聞いたまま、受け止めていくのです。
聞かせていただく「声」称名にすべて仕上げられてあります。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏は「まかせよ、救う」の名のりであります。
親心を知れば、そのまま委ねていくことができるはずです。
親の温もりの中にあることが子どもには一番の安心だからであります。
私には血を分けた我が子はいません。それでも父母を通して知らされたのです。
素直ではない頑固者の私を見捨てずに変わらずにいてくれたのです。
「気づいてくれよ」の声が南無阿弥陀仏の六字の声となって喚んでいてくれました。
原口針水和上は、【我称え 我聞くなれど 南無阿弥陀 連れてゆくぞの 親のよび声】と仰っておられます。
親ぐらい有難いものはいません。そうでない人もいるかもしれませんが。
私には南無阿弥陀仏を常に声として伝えてくれたお父さん、お母さんがいました。
それを常に忘れずにこれからも生きていきますよ。
60分一席という短い時間でしたがこのような内容のお話をさせていただきました。
お参りくだされた方々、また出向依頼をくださった昌平寺さまに感謝申しあげます。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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