皆さま、おはようございます。
雪はいかがでしょうか。
入間はさほどでもなく喜んでいます。
これくらいなら外出には影響もなさそう。
今日は新たなスタートのための重要な手続きがあります。いよいよであります。
しばらくは落ち着かない日々とはなります。
いよいよ超法寺の事業が始まります。
さて『法華経』に、「三車火宅(さんしゃかたく)のたとえ」があります。
お金持ちの人の家が火事になりました。
たまたま外にいたお金持ちは家に帰ると火事に驚いて子どもたちを呼びましたが、子どもたちは遊びに夢中で気づきません。
お父さんは子どもたちに向かって「子どもたちよ、逃げなさい、火事だぞ」と一生懸命呼ぶのですが、子どもたちは出てきません。
そこでお父さんは言い方を変えました。
「家の外に珍しい車が通るよ。羊の車、鹿の車、牛の車が通るよ、早く出てきなさい」
子どもたちは火の家から飛び出して火車から逃れることができました。
お父さんは、大きな白い牛の車を皆に与えました。
お釈迦さまは、「この世は火の家である。ところが人々は家の燃えていることを知らず、焼け死ぬかも知れない恐れの中にある。だから、仏は大悲の心から限りなく様々に手段をめぐらせて人々を救う」と言われました。
私たちはこの子どもたちと同じで、たくさんの欲に振り回されてこの世が火事【無常】と気づきません。仏さまの教えにふれて煩悩が燃えさかる火の家だと気づかせていただきましょう。
それには仏法聴聞を重ねながは日々を過ごす必要があります。怠らずに邪魔くさいと思っても聞いておきましょう。人間は毎日79パーセントを忘れて生きていると言います。
「方便」とはウソではなく、真実へと導く手立てだと言います。
親鸞聖人は、ご和讃に
釈迦弥陀は慈悲の父母
種々に善巧方便し
われらが無上の信心を
発起せしめたまひけり 『高僧和讃 善導讃』
と、仰っておられます。
真実を知らずに過ちのものの見方を正しいと思い周りを責めながら生きようとする愚かな私たちに大悲の慈悲のはたらきをもって喚び続けておられる阿弥陀さまのお心を受け止めて生きていきたいですね。
人間は毎日毎日コロコロと自分勝手に思いを変えて生きています。他者を好きになったり嫌いになったり。そんないい加減なものに振り回されて生きているのが現実であります。
阿弥陀さまも、【南無阿弥陀仏】と喚び続けておられますが、気づくことのない私たちに、【絵像】となり気づかそうとされています。
これが方便であります。
皆さまのご本尊の裏書には「方便法身尊形」(ほうべんほっしんそんぎょう)とあるはずです。無いものもありますが本願寺からいただいたものにはそう記載されています。
私たちが受け取りやすい形として阿弥陀さまは、【南無阿弥陀仏】の声となり届いてはたらいていてくださいます。気づいてください。
そうすれば晴れやかな人生が開きます。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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