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救いの道を示す

皆さま、こんにちは。暖かな日になりましたが、またお天気は下り坂らしいですね。 是非、楽しみましょう。

桜は今週いっぱいでしょうか。


花びらは散っても 花は散らない

人は去っても おもかげは残る

         [金子大栄和上]


生きる花であればやがて枯れて散ります。 でも花としての美しさまで消えることはありません。このように人のいのちは終わろうとも、その人の懐かしい面影、思いまでは決して消えることはないということです。

ましてや永遠のいのちの仏さまになられていくならば、亡き人はいつでも、どこでも私たちと共のいのちであり常に優しくお護りくださり、励ましてくださいます。

声の仏さまにおなりくださいました。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と声となり、「まかせよ救う」とのおはたらきです。


生死の苦海ほとりなし 久しく沈める我等をば 弥陀弘誓の船のみぞ 乗せて必ず渡しける

          [親鸞聖人]


親の願いに気づかずに自分勝手に生きようとする私たちを案じて、何とかして生きている人間世界が迷いであると気づかせて、欲の中に埋没している生き方から目覚めさせ、救わずにはおられないという大きな大悲の誓いをたてと南無阿弥陀仏のお名号(おはたらき)を振り向けてくださいます。

一度や二度聞いても気づけない私、まかせよといわれても自力に生きようとする危なっかしい私のために仕上げられた阿弥陀さまの願い、「どうか救われてほしい」との親の願いが南無阿弥陀仏の声となり喚びかけられていることをお聞かせいただく貴重な法の場それが「ご法事」であります。

できればやりたくないでしょうが、聞いてもわからない私たちが聞かずにどうやってわかるのでしょうか。


弥陀の本願を信じ、念仏もうさば仏になる。


地獄を自ら作り、その地獄に自らが落ちていこうとする私を、落としてなるものかと南無阿弥陀仏の声となりはたらいていてくださるのです。死にさえすれば仏になるなどと思ってはなりません。

私たちが親のご苦労によって親を知らされたように、仏さまのおはたらきを亡き親を通じて知らされていくのです。


今日、年に一度の狂犬病予防接種に行きました。金子地区センターに初めて行きましたが洋犬の多さに改めて驚かされました。駐車場はいっぱいでしたが係員が優しく誘導してくださいました。ただ一人の男の方が誘導がわかりにくいと大声で文句を言われていました。そんなに怒鳴るほどなのでしょうかね。

私はいらんことを言ってしまいました。

「そんなに大きな声で怒鳴らないでよ、私が叱られているように聞こえるから。」というと、「⚪︎⚪︎だから声がでかいんだ、悪かったな」と、到底謝っているような態度ではありませんでした。その男の方の脇には可愛らしい柴の雑種?が困ったような顔をしていました。


犬は大声を出されるのがとても不快だと言います。確かに人間よりも耳が聞こえるからかなりうるさく聞こえるのでしょうね。

他人の迷惑を考えての言動ができない大人が我が街にもいるのが悲しかったな。

私も余計なこと言わなきゃ良かったでしょうが、なにぶん言わずにはおれない性分でして。


人の振り見て我が振りなおせ


母が生前よくそう言っていました。

人間の悲しさは常に自分が正しくて他が悪いと責める生き方だと思う。真実なる仏から見れば私も彼も正しくはないのでしょうね。


また新たに月極駐車場を借りました。とても感じの良いお方でした。お世話になります。

南無阿弥陀仏

          

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