皆さま、おはようございます。
今朝も冷え冷えですね、気合いが入ります。
是非、良い一日をお過ごしください。
さて日本では毎年二万人以上の方が自ら命をたっている現実があります。悲しいかな同じ数ほどの人が行方不明にもなっているとの話もあります。これほど豊かな世の中というのに驚かされます。
人間はある感情でなければ自ら命を絶つことはできないそうです。
ではその感情とは何でしょうか。
それは「絶望」なのだそうです。
親鸞聖人は、人生を【難度海】と表現されます。「渡るが困難な海のようである」という意味です。視界が不透明な私たちの日常では、常に災害•事故•病気など予期せぬ災害や不幸に遭遇し、悲しみや苦しみ、辛さに涙することが多々あります。それぞれさまざまな悩みや苦しみが大小の波となって押し寄せては返す、この繰り返しというのが現実ではないでしょうか。何の予兆もなく、身の丈をはるかに越えるような激しい大波に飲み込まれて、どこまでも流されそうになる私たちではないでしょうか。
いつも溺れたり、沈みそうになったりを繰り返し、その私たちを哀れみ悲しまれて、
「苦悩の波に溺れさせない」
「煩悩の海には沈めない」
究極な救いを誓われたのが阿弥陀如来です。
海難事故の救助現場では、「浮いて待て!」 という合言葉があります。 近年多く発生している離岸流で沖へと流された場合、体力や泳ぎに自信のある人ほど、流れに逆らって自力で泳いで海岸へ戻ろうとするそうです。しかし離岸流は国体レベルの泳者でも無理なんだそうですので私たちでは到底無理ですよね。先ずは落ち着いて仰向けに浮いて、流れに身を任せて救助を待つのが最良な対処法なんだそうです。 私たちの人生も同じではないでしょうか。 さまざまな問題に直面すれば、これまでに蓄えていた知識や積み上げてきた経験が豊富な人ほど、自分の力で解決しようとします。しかしながら何も役に立たないほどの難題が目の前に立ちはだかったとしたなら、人間は絶望するしかありません。諦めていく。
しかし阿弥陀如来は、あなたを決して見捨てない。この救いの声が初めて響くのです。
この救いを親鸞聖人は、
「弘誓の船」
「難度海を度する大船」
という表現で、頼もしい船に例えられています。誰もが悩みやさまざまな問題を抱えて生きています。渡るのが困難な人生の荒波を泳ぎ切ろうと必死にもがくのです。
「仏の顔も三度」は、「どんなに温厚な人でも三回目にはキレる」という意味で使われています。確かに人間には我慢や許容の限界がありますから、言動や状況が意に沿わなければ、助けるべき相手でさえも、簡単に見捨てたりしますろ、あれほど仲が良かったのに、いざ気持ちが離れてしまえば何事も無かったように興味をなくし見向きもしなくなるのが人間です。
これはどんな人であってもそうなのです。
厳しい現実は私自身、痛感してきました。
親友だろうがいとも簡単に見捨てられました。
だから人間にそれほど気持ちを持ってはならないのです。仲良くは、私との気持ちや損得が合致しているからであり、そうでなくなればあの笑顔も優しい言葉も一瞬に私から無くなるのだから。しかしこれが人間の限界なのです。
女性って実に友達を大切にしますよね。
友達の意見に忠実に生きようとする。
だから洗脳されることがあるのでしょう。
あまり男性にはない感情かも知れませんが、男性も仲間と思えば一生懸命にします。
ですから、こういうことになったとしても人間だからですから気にすることは無いのです。
現実は絶望となるのでしょうが心配ありません。冷静に考えてごらん。あなたは友達のために生きているんじゃないよ。友達もあなたのために生きているのでもないんだから。
そこに気づけるのは真実信心の阿弥陀如来のご本願に出遇うことです。
「阿弥陀」とはノーリミッター(無制限)を意味します。いつも、いつまでも、何度でも(三度くらいじゃ見捨てませんからご安心を)。
ずっとずっとずっと、永遠に私の救いを諦めないのが阿弥陀如来の本文であり、その名前の由来です。
阿弥陀の語源は、サンスクリット語(古代インド語)の「アミーターバ•アミターユス」です。
「ア」=「否定接頭語(~ない)」
「ミータ」=「はかる」
「ア+ミータ」=「はかることができない」、限りないという意味です。
これが漢訳されて、「無量光•無量寿」と表現されるようになりました。
私を包み込んで離さない「光」と「いのち」を阿弥陀如来と仰いでいきたいですね。私を本当の幸せにしたいという願いで仕上がっている仏さまです。
先に届けられてある願いを私が受け止めたらそれでいいのです。ですから誰もが出遇える仏さまなのですね。
阿弥陀如来に出遇えたらもちろん「絶望」になんてなるはずがないのだから。
ではどうなるのか。
「大丈夫」な私の人生となるのです。
「だいじょうぶだ」って言葉が以前流行りましたよね。だいじょうぶだぁ、って言葉にしてその後にナンマンダブツと称えてみましょう。
安心ですね。
今日も一日、ナンマンダブツを声にして、だいじょうぶだ〜って思いながら貴方の「今」を生きていきましょう。
南無阿弥陀仏
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