挨拶(greeting)していますか?
- 超法寺の住職
- 2024年5月11日
- 読了時間: 2分
皆さま、おはようございます。今日は朝から温かい良い天気に恵まれました。
皆さまはご近所や道行く人に挨拶をされますか?お声がけです。
私はこの街に来てずっと挨拶をすることを大事にしてきました。
しかしながら残念なことに年配の方ほど挨拶をしても知らんぷり(聞こえていないとは思わない)で、わんこたちには声をかけてくださいますが私はスルーしてくださいます。今回、新拠点を南峯にした理由の一つが「挨拶」だったのです。
ここらの人は今時ではなく、子どもが笑顔で積極的に「こんにちは」って挨拶をしてくれます。ここではほとんど相手から声をかけてはくれないというのに。
どこに違いがあるのでしょうか。
学校でしょうか?それとも家庭、家族なのでしょうか。
挨拶を交わす、体温をかわすって気持ちの良いことだと思います。
皆さまは挨拶を大切にしていますか?
もちろん、阿弥陀さまへのご挨拶は「南無阿弥陀仏」です。
挨拶は英語で「greeting」といいます。
この言葉は初めて人と会う時に使うそうです。
知っている人、仲の良い人にだけ挨拶するって寂しくありませんか?
だって、縁があったから会えたのだから。そして会えなくなるかも知れないのに。
『歎異抄』にも、名残惜しく思えども、娑婆の縁切れて、力なくして終わる時にかの土にはまいるべきなり。とあります。
私たちはどこからきてどこへ向かって生きているのかわからないなんて寂しいし、嬉しくもないし、安心もできないでしょう。
今月でここを去っていく私です。八年という時間をご近所さんとして歩んできたのに笑顔で挨拶すらできない冷え切った関係性って今の世相なのでしょうか。
これでどうやって「強く明るく生きていけるのでしょうか」
教えてください。
フッと、さだまさしさんの『防人の歌』を思い出しました。
皆、死んでいくのです。死ぬまでじゃ死なないのです。
どうして生きていかねばならないのか、それは生きてみたらいいのです。
私は阿弥陀さまを仰いで、道行く人に声がけしていきます。
無視されても、知らんぷりされても、今日を南無阿弥陀仏を灯火として生きていきます。
今日は相模原市までお参りに行きます。
夕方にはキッチンの清掃に来ていただきます。
まだまだ荷物はあります。でも掲示板が無くなっただけでも様子が変わってきました。皆さまも良い週末をお過ごしください。
南無阿弥陀仏
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