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「慈」は仏心なり

皆さま、こんにちは。

どうですか、落ち着きましたか?

サッカーワールドカップの賑やかな雰囲気も落ちついたでしょうね。マスク無しで騒いでおられた方には是非PCR検査をしておいてください。

新型コロナウィルスの後遺症は本当に苦しいそうですよ。


私は持病もあるしかかりたくない。


日本人は熱しやすく冷めやすいからね。

でも、PKで外した選手を責めるような愚かな言動は是非辞めていただきたいですね。

世界から日本人の「サムライ」魂が絶賛されたというのに、くだらないSNS投稿で幻滅されては悲しいことです。


相手はワールドカップ準優勝経験のあるテクニシャンですからね。また予選と決勝トーナメントでは戦い方も姿勢も全く違うことを見せつけられたのが今回だったと思います。

日本は予選で勝っただけで大騒ぎする•••まだ世界とは違うことを知って行かなきゃね。


きっと次につながる負けだと思います。

夢をありがとうございました。


さて今朝は、【あらゆる善根は慈を根本と為す】

をご紹介します。


手垢のつかない清浄なる行為を「善」といい「善根」(ぜんごん)という。手垢がつかないというのは計算をしないことであります。

私たちは人に何かをすると必ずしたことにとらわれてしまいますよね。

つまり、これだけのことをしたというわけです。

だからお礼を言われないと気が済まない。

お礼を言われないと、何と非常識な人かと腹を立てることもありますよね。


もうこの時点で善根は善根ではなくなってしまいます。善根が功徳と言われるのは、そのようなハカライを超えたところで為されるからであります。


私たちは自分でしたことにとらわれて有頂天になり、またしてもらったことにとらわれ卑屈(ひくつ)になったりします。

両方とも誤りではないでしょうか。


【あらゆる善根は、慈を根本と為す】


慈とは、智とともに仏道の根本であります。

大慈大悲と言われ、慈悲と言われるのはこのことであります。

経典には、【仏心とは大いなる慈悲のこころである。わけへだてない慈しみをもってすべての生きとし生けるものを救いとる心である】『仏説観無量寿経』と示されています。


「慈」とは、[いつくしみ、他を救う心である]はたらきであります。

これを【仏心】といいます。


私たちの優しさとか、同情というものとのとの違いがここにあるのでしょうね。

自分の感情に即した優しさと、同情はともすると相手をダメにしてしまうことがあります。

相手を誤りなく洞察(どうさつ)し、その人を活かす道を実践していくのが【智慧】と【慈悲】の世界であります。


【慈悲】とは、そもそも他人に利益(りやく)🟰[幸せ][安らぎ]を与えるもので、[苦しみ]を除くことです。

ですから【慈悲】は、【抜苦与楽】(はっくよらく)という言葉で説明されます。


【善根】とは、良き行為であります。

汚れなき行為は、人を幸せにする行為です。

したがって善根の根本は慈悲であるということになります。


私たち人間は、良いことをしたといいながら、したことをいつまでも忘れることができずに、[してやった]と善を押しつけ、その上で[見返り]をいつも期待しているという鬼のようなツノをいつも立てて生きているのであります。

だから、人間はいつでも[争い]が尽きません。


慈悲の世界は仏心にしかありえないことをよく理解して、人間の思いを頼りにはせず、仏心(慈悲)を頼りにして生きていくことで、本当の幸せに出遇っていくことが大切ではないかと思います。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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