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「悪」を知らなきゃわからない

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

皆さま、こんにちは。

台風一過で爽やかなお天気になりました。

あの土砂降りが嘘のような日曜日です。

今日は久しぶりにお仕事の無い私です。


こんな日はゆっくり身体をケアして、仏教書など読むのは大切ですがなかなか大変。

妙好人の詩を味わわせていただきました。



悪が知れなきゃ仏も知れぬ

悪が知られりゃ仏も知れる

悪と仏は一つもの

それが六字の南無阿弥陀仏

あさましや、あさましや

ありがたや、ありがたや


わたしゃ罪でも

六字の慚愧

わたしゃ罪でも

六字の歓喜


海の潮も、さしひきあるよ

わしのこころに、さす潮は

慚愧、歓喜の、差し引きの潮

歓喜の潮は、さす潮で

慚愧の潮は、引き潮で

慚愧、歓喜の、さしひきの潮

これが楽しみ、なむあみだぶつ



日々変わり続ける人間の心に、いつも平らな南無阿弥陀仏の海を才市さんは見られているのです。

皆さまはいつも平らな日々を過ごしておられますか。違いますよね。イライラしたり愚痴が出たり、他人を悪く思ったり、悪く言ったり慌ただしくはないでしょうか。

これは人間という「病」であります。

いつでも自分が正しくて周りが間違っていると思い込んで生きています。

だから、しょっちゅう揉め事が私から離れない。しかし少し見方を変えてみたらとても行きやすい生活が送れますよ。


例えば、伯父がある時、車を運転していた時に割り込んできた若者から、「この、くそ親父!」と、怒鳴られたそうです。

ちなみに伯父は八十半です。

すると伯父さんは「おぉ、有難うな」って御礼を言ったそうです。

皆さまもそうされますか。

きっと、「何だと!お前が悪いんだろ」などと文句を言わないですか?


さて、では伯父さんは「有難う」と言ったのか。

伯父さん曰く、「あいつは八十半のオレをみて、親父って言ったんだぜ。どうみても、くそジジイって言うはずだろ。だから嬉しくて有難うって言ったんだ」笑


言葉一つで人は喧嘩にもなるし、傷害事件にもなる世の中てまあります。

こういう物の見方は、人間の病に埋没していたらなかなかできませんよ。

やはり、自身の「悪」を知ることで周りに優しくなれる世界があるのではないでしょうか。


浅原才市さんが詩で言われたのはそんな物の見方を仏を知る中で学ぶべきだとおっしゃっておられる、そんな気がするのです。


今月25日に超法寺では、[金子みすゞ生誕120年記念講座]として、ちひろさんを招いてミニミニコンサート&朗読会を開催いたします。

まだ参加者を募集していますので、詩を通して、私たちの物の見方を再点検してみませんか。是非お越しくださいませ。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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