恐ろしいのは「私」

皆さま、おはようございます。

昨日はえらい雨が雷がありましたね。

さすがにひょうは降りませんでしたが。

おかげで今朝はひんやりしています。


ただお天気も回復して良い天気になりました。

超法寺の今月はようやく今日からお仕事スタートです。しばらく忙しくしていたので少し不安なスタートです。

不安になると「心の闇」がふつふつと込み上げてきます。悲しいなぁ。


でもあら不思議。

お念仏〈ナンマンダブツ〉の中に身を置いていると私らしい生き方を取り戻せます。


やはり私らしい生き方、これ大切。


無理して行動すると必ずしっぺ返しを受けるのが世の常であります。

超法寺のペースでこれからも歩みたいですね。


《欲やいかりや 愚痴が出る 出るたびごとに

み仏の 慈悲の心にたちかえり 力の限り生きていく》[藤 秀翠(しゅうすい)]


私たち人間の苦しみや悩みの原因は、我と我が物に対する執着にあります。

その執着の心より貪欲(とんよく)【むさぼり】瞋恚(しんに)【いかり】、愚痴【おろかさ】の三毒の煩悩が起こり、その三毒が燃えて栄えて、益々煩悩を深めていきます。


全ての執着から離れて無我無欲になれば煩悩も滅し苦しみも無くなります。しかしこれは私たちには並大抵のことではありません。

私も今まで散々チャレンジしましたがすればするほど逆に自己中心の我執•我欲の世界から離れられないのです。

これこそ煩悩具足の凡夫といわれるゆえんです。


「仏かねて知ろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願(南無阿弥陀仏)は、かくのごときの我らが為なりけりと知られて、いよいよ頼もしくおぼゆるなり」[歎異抄]


忘れないでください。

煩悩具足の凡夫だからこそ老•病•死の人生を歩むのです。凡夫だからこそ苦悩は避けられないのです。凡夫だからこそ思いがけない不幸や災難があるのです。


ではどうすれば凡夫である私が安穏な人生を生きることができるのでしょうか。


それはただ一つの道です。


み仏の慈悲の心(南無阿弥陀仏)に立ち返り、

「こんな私の為にこそ」と、我が身を見失うことなく、ただお念仏(南無阿弥陀仏)を申しながら今を生きていくことではないでしょうか。


今日も色々なことがあるでしょう。

災難に出会わなかったらそれは最高じゃないですか。素直に感謝したいものですね。


だって当たり前なんかないんだからね。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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