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執筆者の写真超法寺の住職

恐れよう、後悔する前に

皆さま、おはようございます。

今朝は冷たい雨が降っています。

新たな年度が始まり、まん防も解除されて皆さまも溜まりに溜まったストレスを発散したい気持ちがあるのでしょうが、ちょっと待ちましょうよ。


まだまだ決してコロナ禍は終息してはいません。また新たな感染力の強い株が蔓延を始めているということを皆さまは忘れているように感じます。


スーパーやコンビニでも店内に入る際に若い人を中心にアルコール消毒をスルーしている方が多く見かける。緊張感はどこへ向かっているのか。アルコール消毒は自分のためであり周りの方々への気遣いでもあるのです。


我が街、入間市でも当たり前のようにアルコール消毒スルーを見かけるよ。郵便局では特に。

コロナ警察にはなりたいくはないけど、マナーというものがあまりにおざなりになってしまうことが恐ろしいのです。


コロナに感染してしまったら、後遺症が本当に辛いと聞きますから私はやはり感染したくはありません。これはあくまでも【自己責任】ですから後で後悔しないように肝に銘じて欲しいですね。


虚しい人生はつまらないよ。

私も若気の至りで無茶苦茶した挙句に持病として抱えていますが、実につらくて後悔しています。もうそんなに長い人生ではないかも知れませんが、なるべく後悔することは増やしたくないです。


また仏教では【生死いづべき道】を説いています。私たちの生と死のすくいを明らかにしています。

諸行無常という私たちの生きている世界は安穏な平和な世界ではなく、怒涛さかまく大海のごとく、その生きる世界も死の道も、尽きることのない迷いの世界をただ生きていかねばならない厳しい世界を「ひとりで」生きていかねばならないのです。

現実の中の私の生きるということは、激変(コロナ禍など)、執着(家族、泡銭、地位や名誉など)、その上での無常不安の中の生命でしかないのです。


【生死いづる道】とは、そうした迷いと不安と苦悩の人生を超えて生きることをいうのです。

[いづる]とは、「のりこえる」とか、「超越」するとか、「救われる」という言葉であります。


宗祖親鸞聖人が850年経ってもさまざまな人々から慕われ続けているのは、90年の長い人生を歩まれた中、さまざまな不幸や弾圧に遭いながらもそれが愚痴や不平、不足のものにならずに、常に信心をいただいて生きることを大切にしながら「南無阿弥陀仏」を称えながら強く明るく生き抜いてくだされたのですね。


この世の「生」も「死」も、お念仏「南無阿弥陀仏」によって救われていく道、そこに念仏者としての人生があります。

これこそが、人間の道であり、まことの道であると思うのです。


形だけの浄土真宗の門信徒、形だけの浄土真宗の僧侶、形だけの「南無阿弥陀仏」を称えているそんな生き方はいざという時に虚しさを感じてしまうのでは無いだろうか。

しっかりとお聞かせいただいておきたいですね。「今」。YOSHINOYAの牛丼の丼に名前を入れてもらうために必要以上に牛丼を食べ続ける人生はきっとあなたが病気になってしまった時に「後悔」ということで思い知らされることでしょう。


私自身、若い頃それに振り回された挙句に身体を壊してしまい、めちゃくちゃ後悔したし、長く病院通いを強いられることにもなりました。そしてただ虚しい人生となりましたから。

無駄な支出により大笑いしたのはYOSHINOYAさんとYOSHINOYAの株主さんとなるのでしょうね。


そんなものに振り回されて生きるよりも素晴らしく生きることができる道がありますよ。

先ずは【生死いづべき道】を明らかにしておきませんか。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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