皆さま、こんばんは。
超法寺の寺基移転まで一ヶ月を切りました。
リフォームが終わるまではまだしばらくバタバタします。明日はお天気が回復するようなので、久しぶりに荷物を運ぼうとまとめる作業をしていました。なかなか減らないです。
かなり処分はしているのですが、「執着」が邪魔をしてしまうのです。
ふと種田山頭火さんの言葉が目に入り自省してみたりする。
[捨て切れない 荷物の重さ まえうしろ]
片付けるべきものは服や日常生活に必要なものだけではありません。私が56年生きてきて抱えてきたもの[特に思い出か]がどうしても捨てられずにいる。自分にしか価値が見出せないというのにだ。
きっと、きょうだいだちにはただのガラクタにしか見えないだろう。それでもやはり•••。
人間とは何ともお粗末であると痛感する。
自分では[少欲知足]などと言っているくせに、自分もなかなか足るを知られない。
情けないなぁ。
《聞法によって変えられていく私たち》
私たちは阿弥陀如来のご本願を聞かせていただくことで、自分本位にしか生きられない無明の存在であることに気づかされ、できる限り身を慎み、言葉を慎んで少しずつでも煩悩を克服する生き方へと作り変えられていくのです。
それは例えば、自分自身のあり方としては、欲を少なくして足るを知る「少欲知足」であり、他者に対しては、穏やかな顔と優しい言葉で接する「和顔愛語」(わげんあいご)という生き方です。たとえ、それらが仏さまの真似事といわれようとも、ありのままの真実に教え導かれて、そのように志して生きる人間に育てられるのです。このことを親鸞聖人は門弟に宛てたお手紙で「(あなた方は)今、すべての人びとを救おうという阿弥陀如来のご本願のお心をお聞きし、愚かなる無明の酔いも次第に冷め、むさぼり、いかり、おろかさという三つの毒も少しずつ好まぬようになり、阿弥陀仏の薬をつねに好む身となっておられるのです」とお示しになられています。
たいへん重いご教示です。
※【私たちは阿弥陀如来のご本願を聞かせていただくことで、自分本位にしか生きられない無明(むみょう)の存在であることに気づかされ】ていくのです。
この言葉をしっかりと受け止めていきたいものですね。煩悩具足の凡夫たる私たちの[生き方]は、常に阿弥陀如来の【ご本願】を聞かせていただくことであることを忘れてはならないというご教示であります。
西本願寺第二十五代 専如門主
伝灯奉告法要 ご親教より
聞いても聞いても、それでも「執着」から逃れていくことは難中の難であります。そのような私をお見抜きくださり、そのまま抱きとめてお救いくださる大慈悲心が南無阿弥陀仏のおはたらきであります。先程のお言葉で親鸞聖人は、少しずつ[毒](煩悩)を好まなくなるとおっしゃっておられます。少しずつなんですね。
だから焦ることなく、ただ阿弥陀如来におまかせできるような私にならせていただくように心がけていくのですね。
南無阿弥陀仏をお称えしながら生きていくのですね。そんなことを荷物をダンボールに詰め込みながら思いました。
今夜は久しぶりにライオンズが勝ちました。
若林楽人[旧友の甥]が二本のホームラン[全打点]を打ち、二本目はサヨナラツーランでした。彼の活躍でまた延長戦になる危機を脱して連敗を4で止めたのは良かった。
五月攻勢をかけるには最高の勝ち方ではなかったのでしょうか。
余韻に浸りながら今夜は休みたい。
皆さま、おやすみなさいませ。
南無阿弥陀仏
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