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執筆者の写真超法寺の住職

念仏者の遺言

皆さま、こんにちは。

今日はいかがお過ごしでしょうか。

暑いのは夏ですから驚きません。

新型コロナウィルス新規感染者増加も驚きません。だってまだ終息したわけじゃないから。

自分の浅はかな判断で、ワクチン打ったから大丈夫だとか、緊急事態宣言が解除されたから安心だとか、密じゃないからマスクしなくても•••みんな妄想でしかありません。


無症状だからとかもただ怖いだけだよ。

一番怖いのは一度でも感染したら、【後遺症】に悩まされる可能性が「大」だということ。

味覚障害や肺疾患が一生続くかも知れないという恐怖を考えたことありますか?

喫煙も同じよ。昨今の流行り電子タバコも喫煙だということを忘れがちです。

喫煙者にはもれなく【肺気腫】という病に悩まされるらしいよ。


このように浅はかな考えで自己判断するといずれ我が身に皆返ってきてしまうのをよく考えて欲しい。


私は今から約二十年前までは一喫煙者でした。

もう二度と喫煙することはないけど、きっと肺気腫で苦しむのだろう。既に気管支ぜんそくに悩まされています。本当に苦しいんだよ。


後悔してももう遅いよね。


自己責任です。


誰にも責任など取ってもらえないよ。

せめて医療保険は加入しておきましょう。


さて、私たちが生きる人間世界は仏教では【無常】と説かれ「迷い」の世界と言われます。

迷いの世界は[思い通りにはならない]。


だから、どんなに神仏にお願いしても決して私の思うようにはならないのです。

健康だろうが若かろうが何も問題なく、縁が尽きれば今すぐでも死んでいかねばなりません。

つまりは生きる保障などないのです。


あるのは、いつでもどこでも死ぬということ。


その自覚はございますか?


では死んだらどうなるかもおわかりなのですよね?無いなら大変じゃないですか。

死ねば仏はありませんし天国にも行きませんよ。


ここを明らかにしないでどうして安心していつでも死ねる私が死んでいけるのでしょうか。


仏の願いは、あらゆる命がつながっている。そのつながり「縁」を知ってくださいます。

宮沢賢治さんは、「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」と、おっしゃっています。


五木寛之さんは、「これまで長く【死のレッスン】とでもいうことを遊び半分にやってきた。レッスンといっても、別にたいしたことではない。寝る前に、もし明日、目が醒めないとしたら、それでいいだろうかと深呼吸をしてじっくり考える。そして朝起きると、今日が最後の一日になるんだぞと自分にいいきかせるのである。自分が今日死ぬかも知れない。と夢にも考えずにいるよりは、今日で自分の一生が終わるが、それでもいいのかと、五分でも十分でも実感をもって考えた方がいい。そうすれば、本当に死が迫ったときに、慌てずにすむような気がする。」[仏教への道 インド編]と、おっしゃっています。


◉永六輔さんのお母さんは、敬虔な念仏者と知られていますが、このような遺言を残されています。

「南無阿弥陀仏、皆様に大変お世話様になり有難う御座居ました。厚くお礼申し上げます。安心して、喜んでお浄土へ参らせて頂きます。合掌」

平成11年3月7日 92歳でお浄土に往かれました。



是非とも一日も早く、このおいわれを聞いておきたいですね。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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