本当に久しぶりに京都に来ています。
明日は両親の分骨を大谷本廟で行います。
お母さんの大好きな親鸞聖人のお墓にご一緒させていただきます。
私も往生の際は埋葬していただきますよ。
浄土真宗のみ教えに遇わせていただけた者には最高の誉れではないでしょうか。
おかげさまにて明日はお天気回復するようです(さすがは超晴れ男の住職です)
亡き父は逆に超雨男でありましたが•••ね。
また来月は二度もご本山(京都)に来させていただきます。今月29日(住職の誕生日)〜いよいよ親鸞聖人御生誕850年、立教開宗800年慶讃法要が西本願寺で勤まります。
[遺句](いく) 正畠友二
逝く先は おまかせをして 旅に出る
浄土より 逝く先の無い 身が嬉し
ニッコリと 八十二年の 幕が引け
ありがたし 只ありがたし さようなら
これは田布施町別府、明楽寺のご門徒。
平成2年10月6日に82歳で亡くなられました。
明くる日、奥さんが御主人の机の引き出しの中に、遺句と書かれた封筒を見つけました。
中に、右の四つの句が書かれてありました。
どこへ逝く、人間の知恵では分からん。
ただ【つれてゆく】と仰せくださるナンマンダブツの如来さまにおまかせして往きます。
如来さまに摂め(おさめ)とられてお念仏申す者は、浄土より往き先は無い、何と嬉しいことか。
ニッコリと、只ありがたし、と別れの句を残して往生されたのです。
正畠友二さんは、お念仏に救われた事実を残して逝かれました。
この句を見た時、みんな嬉しかったでしょう。
悲しみの中で涙を流して喜んだことでしょう。
こんな尊い遺産をもらった遺族の方々はしあわせですね。
皆さまも、子どもさんやお孫さんにお金をたくさん残してあげることも大切でしょうが、お金の嬉しさはいずれ無くなり忘れられます。
しかしながら、遺句を残す、それもサヨナラしたんじゃないぞ、また必ず遇えるんだという言葉を残すことは人間として生まれさせていただけた素晴らしさではないかと私は思いました。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
Comentarios