皆さま、こんばんは。
今日はウチの子たちの美容院でした。
豆柴さんは生え変わり時には半端なく抜けます。こればかりは生理現象ですから仕方ない。
おかげさまで綺麗になって帰ってきました。(迎えに行きました)
これでしばらくお掃除に苦労することが減ります。しばらくダイソンを使ってきたけど、すぐに壊れるので、今は普通の掃除機にしています。ダイソンってめちゃ壊れるの。
高いだけで使い勝手は良くありません。
さて今日は、「お念仏は嬉しい、お念仏は楽しい」、外国での南無阿弥陀仏の受け止め方をご紹介します。
南米アルゼンチンでは、私の中央仏教学院本科時分に同期(隣のクラス)の青木グスタボ•ハビエルさんが『伝道』に投稿しています。
彼は生まれも育ちもアルゼンチン、ブエノスアイレス。日系二世です。
彼は今、喫茶兼念仏道場「風来坊レスト」を開き自称「世界で一番お念仏の声が聞こえる」場所なんだそうです。
彼はさまざまなものを取り入れて念仏道場の維持に努めているそう。
彼が父親から学んだことは、どうすれば念仏道場になれるかというと、称えるようにする。
南無阿弥陀仏を歌い、南無阿弥陀仏を踊り、南無阿弥陀仏で挨拶し、南無阿弥陀仏三昧の道場にしたらいいんだと。
そういえば今は亡き熊本県の工藤義修師が実践しておられました。
おはようを南無阿弥陀仏、こんにちはを南無阿弥陀仏、ありがとうを南無阿弥陀仏、おやすみなさいを南無阿弥陀仏と。
なかなか真似のできることではありませんが、私たち人間は死ぬまで煩悩から離れられない生き方ですから日々罪作りです。
私に宿ってくださる阿弥陀さまとご一緒しなくては恐ろしいことです。
(だからといって南無阿弥陀仏を言えばいいわけじゃないけど)
ま、色々あるなぁって思ったけど、あまりにお念仏を称えることに力を入れてしまうと浄土宗っぽくなりはしないかと私は危惧しています。
さて、「あなたにとって念仏とは何ですか」の
問いに、さまざまな答えがありましたのでご紹介します。
「ナモアミダブツは、私の命」有水恵美子さん
「念仏は私のこころを開き、時間と空間とすべての隔たりをなくします。私は過去と現在のすべてのいのちと一つになります。私は私を超えた何物かになり、私はすべてとなり、そしてすべては私になります。そこに一切のわけへだてはありません。」エヴゲニオ•ポリスキーさん
「念仏は、私たちの心に力を与える」エヴァさん
「呼んでいたけど、聞こえていなかった」エルミニアさん
「南無阿弥陀仏はわたしのすべてであり、わたしと共に歩んで、わたしが誰であるかを教えてくれます」パトリシアさん
「突然念仏になり、風のように自由になり、人間の理論から離れる」シルビアさん
アルゼンチンで教えられた念仏は、念仏は楽しい、念仏は嬉しいということです。
日本では念仏は誰かが死んだ後でないと称えてはいけない言葉のように思われていますが、もともと念仏は阿弥陀さまのお名前ですから、いつどこで称えても良いはずです。
念仏は、真実の宝、念仏は人生を照らす鏡。
念仏は明日を夢見るエネルギーなのです。
浄土に生まれるにはどうすればいい?
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すべては阿弥陀さまのおはたらき
親鸞聖人が著された『教行信証』の「信文類」の課題は、「いかにして信のない者に信心が発されるか」です。
その結論は、【他力不思議による】でした。
水に映った月は、確かに水にあるけれども、掴もうとすれば消えてしまいます。他力の信心は、阿弥陀さまの「南無阿弥陀仏」のよび声が届いているほかはないのです。
それを本願成就文には、
【聞其名号 信心歓喜 乃至一念】と述べられれています。
【あなたを必ず救う】
という名号のいわれが聞こえたままを信心といいます。
浄土真宗の教えは決して難しくありません。
私の計らい(煩悩)が難しくしているのです。
ですから、「あなたも、あなたの人生に南無阿弥陀仏の燈を灯ながら生きてみませんか」
人間のために建てられた阿弥陀さまの願い、それが南無阿弥陀仏であります。
人種など関係ないのです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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