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念仏こそが最高の「善」

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

【念仏にまさるべき善なきゆえに】


子どもにとってみれば、いくら多くの女性が束になってやってきたところで、たった一人の母親が来てくれるのとは全く価値が違う。

《母親であるがゆえに絶対であります》


【十億の人に十億の母あれども、わが母にまさる母あらめやも】[暁烏敏(あけがらすはや)]


これと同じように、どんな善行を積み重ねようとしたところで、一つとして出来そうにない人にとってみれば、そのままで救ってもらえるという念仏こそは、何ものにも代え難い最高にして唯一の方法でありました。


【わがはからわざるを、自然(じねん)ともうすなり】


自然(じねん)=ご本願にまかせきること=そのまま


人間の浅はかな知恵や力ではどうにもならないことに気づかない限り、こういう境地にはなりません。


秋のお彼岸ですよ。

またお墓参りだけで済ませるのですか。


【親送り 妻先立ちて 子の急ぐ 茜の空は 美しきかな】

◉とかく、どうして私だけがこんな目に•••••などといいますが、両親は長命でしたが、看病の疲れか、妻が急死、後を託そうとしていた長男も急死。

自坊(お寺)も火事で消失するなど•••••。

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こういう私(無常世界に生きる)であるからこそ、阿弥陀さまの願いが起こったのです。

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往生浄土(しあわせのみの世界)

いのちの底から私を支えていてくださることを知るのです。

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これがお彼岸に仏法を聞く意味です。


お浄土のある西の空の夕焼けは何と美しいことでしょうか。


お浄土で待っていますよ、愛しい方々のお導きだと喜びこぼれました。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏




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