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「先手」の証が南無阿弥陀仏

更新日:2023年7月25日

【たのむ】を漢和辞典で漢字を調べてみますと、「頼」「憑」「馮」「恃」などが出てきます。

親鸞聖人は【たのむ】とあらわされた漢字は、「憑」の字でした。

【憑】とは、[よりかかる]とか[たよりにする]という意味で、[相手の力を知り、安心して全身をゆだね、まかせることをあらわしています。

ですから、[たのむ]とは[まかせる]という意味で用いられたのです。

また、親鸞聖人は【信】を[たのむ]と和訳されました。[たのむ]とあらわされた信心とは、【安心してまかせられる】ということと知られますね。


ですから、[たのむ]とは、お願いしますということではなくて、【おまかせします】ということであるのです。


浄土真宗のみ教えを聞くならば避けては通れない[たのむ]、ここを間違えて受け止めると最後まで阿弥陀さまのお救い【他力本願】に背を向けたままになってしまいますから、きちんと理解しておくことをおススメします。


住職が唯一YouTubeで【たのむ】についてのお取次をさせていただいていますので、ご興味のある方はご視聴ください。

ホームページにもアップしています。

【築地本願寺ひとくち法話】


続いて「後生たすけたまえと弥陀をたのむ」についてです。

【もろもろの雑行をすてて、一向一心に後生たすけたまえと弥陀をたのめば】は、他力本願を聞き間違えている方は、[後生を助けてくださいと、一生懸命に阿弥陀さまにお願いすれば」となります。


大丈夫でしょうか。

これは明らかな心得違いでありますよ。

⭕️浄土真宗のみ教えは、阿弥陀如来の「必ずたすける」との仰せが、【先】に聞こえてくださっているのです。「必ずたすける」との仰せを聞いた上からは、私の方が「どうぞおたすけください、お願いします」という心にはならないはずです。

この「後生たすけたまえと弥陀をたのめ」とは、私たち人間の常識を頼みにする思い上がりの心を捨てて、ひとえに阿弥陀如来にしたがい、仰せのままにおたすけくださいと、安心しておまかせする、という意味です。


この度の天岸淨圓先生の築地本願寺常例布教でお取次くだされたのはまさに[おまかせ]【阿弥陀如来をたのむ】ということでありました。

頭が下がりました。

南無阿弥陀仏


蓮如上人は、【雑行をすてて弥陀に帰す】と、弥陀をたのむ心を勧めておられます。

何度も繰り返しお読みいただきたいですね。


聖人(親鸞)の御流(ごりゅう)はたのむ一念のところ肝要なり。ゆゑに、たのむといふことをば代々あそばしおかれ候へども、くはしくなにとたのめといふことをしらざりき。しかれば、前々住上人の御代(ごだい)に、御文(おふみ)を御(おん)作り候ひて、「雑行をすてて、後生たすけたまへと一心に弥陀をたのめ」と、あきらかにしらせられ候ふ。しかれば、御再興(ごさいこう)の上人にてましますものなり。『蓮如上人御一代記聞書』


さて今、皆さまは何を一大事としておられるのでしょうか。

一大事とは一般的には重大な事態を意味しています。浄土真宗では【後生の一大事】と言いますよね。

仏教では、仏さまがこの世に出現され、一切の衆生を教化(きょうけ)し、救済される目標をあらわす言葉です。


⭕️生きることに感動すら持てずに今日も明日も明後日も当たり前の我が人生と自惚れている人たちに、「生きる」ことの不思議さを知らせて、「死」を無意味としか考えられない人たちに、「死」の尊さの意味を知らせて、生と死を貫く「いのち」を見つめる智慧の眼(まなこ)を開く大変大切な言葉なのです。


改めてあなたは、何を一大事としていますか?


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏


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