夢幻のごとくなり

更新日:10月19日

ただいま帰りました。

今夜は父の通夜でした。

もう、「お父さん」と呼びかけても返事をして

いただけないのです。

まだ信じられません。


ご法義をいただくお互いは、諸行無常、無常迅速、

生死事大と日頃からお聞かせいただいています。

しかしながら、我が身は煩悩具足の凡夫です。

やはり長年一緒にいた親を見送るって辛くてたまらないのです。

仏教では【執着】と言います。


【執着】(しゅうじゃく)するからこそ、苦しむのですね。

わかっちゃいるけど•••••。


駐車場のスペースにより参拝出来なかった方もたくさんおられたと聞きました。

たくさんの方々に大切にされたあの開基住職、父のためにお参りくださいました。

感謝しかありません。


長年、仲良くさせていただいていた勝浦市の真光寺のご住職が導師を勤めてくださいました。

千葉にいた時はよくお出会いしていましたが、千葉を出てからはやはり疎遠でした。

それでも、「すえちゃん」と声をかけてくれたのが嬉しかったです。

私の方が遠慮していたのですが有り難いですね。

人見知りな性格はやはり変わらない。

いやぁ実にお恥ずかしいです。


さて父の遺影はきょうだいでどれにするか論議がありました。なかなか決まらない。どうしても同数になってしまう。甥や姪をいれても。

最後は後継住職に決めていただきましたよ。

おかげさまで「怖〜い」イメージの父ではなく優しい柔和な本当の父を皆さまに見ていただけました。

父らしいでしょう。


生前、ナンマンダブツを大切に生きていた父は父の努力ではなく、阿弥陀如来さまのお慈悲のはたらきによりて極楽浄土へ参られました。

私がはいれば皆自力。自力では救われません。


[其仏本願力](ごぶつほんがんりき)

◉弥陀の本願力と申すなり。


「聞名欲往生](もんみょうよくおうじょう)

◉「聞」(もん)というは、如来の誓いのみ名(南無阿弥陀仏)を信じるということ。


「皆悉到彼国」(かいしつとうひこく)

◉「御誓いのみ名を信じて生まれんとおもう人は、

 皆漏れずの浄土に到(いた)るということ。


「自致不退転」(じちふたいてん)

◉「自」は、おのずからという。おのずからというは、衆生のはからいにあらず、しからしめて不退の位にいたらしむとなり。自然(じねん)ということばなり。「致」というは、渡るという。

むねとするという。

如来の本願のみ名を信じる人は、自然(じねん)に不退の位にいたらしむるをむねとすべしとおもえとなり。

「不退」というは、仏に必ず成るべき身と定まる位なり。これすなわち、正定聚(しょうじょうじゅ)の位に至るをむねとすべしと説きたまえる御のりなり。

   『尊号真像銘文』より


悲しみを乗り越えていく近道は、南無阿弥陀仏の阿弥陀如来さまのお救いのおはたらきにより、亡き人が必ず浄土に生まれ仏さまになられたと私が思うことが大切です。

そして私に南無阿弥陀仏をお聞かせくださいました故人とまた浄土ですお出遇いをさせていただける喜びをむねに生きていくように心掛けていきたいものです。

悲しければ悲しみを縁として、苦しければ苦しみを縁としながら、そのまま南無阿弥陀仏とお念仏に尋ねていくことが肝心ですね。


そのような思いで日々を過ごしていく中で少しずつですが阿弥陀さまの大きな慈悲の中にあり、いつも一緒であるという思いを感じることでしょう。


この度は、久しぶりにお会いすることができた人たちは、父が身をかけて引き合わせてくださいました。ありがたいことであり、同時に私自身がいずれこうなることを再認識しました。

そして阿弥陀さまに遇わせていただいたならば、【浄土に生まれ仏にならせていただくことができる】尊いことであることを是非しっかり受け止めていきたいです。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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