届けられていたお念仏

更新日:2月5日

夜分失礼します。お疲れでバタンキューしておりました。こんな時間に目が覚めてしまいました。昨日は遠方にご縁をいただきましたので、早朝に起きて夕方まで法務に走らせていただきました。


おかげさまにて無事に勤めさせていただきました。また新たな仏縁を結ばせていただいたのでした。


その中で、お施主のお母さんが現在、施設におられるというのでリモートでお勤めに参加させてくださいとリモート参加されました。

パソコンの画面越しにお会いさせていただきました。なかなかこちらの声がうまく届いているか不安になりながらも、娘さんが工夫されてくださいました。


お勤めは、

『頌讃』、「表白」、『仏説阿弥陀経』

法話(超法寺は、立ったままでいたします)

なるべく簡潔に無駄な話をしないためにもこのようなスタイルでさせていただいています。


「拝読 浄土真宗のみ教え」《如来のよび声》

🔴阿弥陀如来は、すべての者を救いたいと願われ、南無阿弥陀仏の名号(みょうごう)を完成された。

名号は、如来の知恵と慈悲を円に(まどかに)具えた(そなえた)救いのはたらきそのものである。

 【本願召喚の勅命なり】(ほんがんしょうかんのちょくめいなり)

と仰せになる。


南無阿弥陀仏さ、「必ず救う、われにまかせよ」との阿弥陀如来のよび声である。


如来は、偽りと真実の見分けもつかない凡夫(ぼんぶ)を哀れみ、名号による救いを選び取られた。

如来のみ名は、遍く(あまねく)世界に響きわたり、この真実の救いにまかせよと、よび続けておられる。


そのよび声は、私の称える南無阿弥陀仏の念仏となって、今ここに至りとどいている。

念仏の声を通して、如来の大悲のよび声を聞かせていただく。[全文]


を、拝読した上でこの度のご法事に私たちが遇わせていただいた意味をお取り次ぎいたしました。

幼いお孫さんもおられましたので、【それゆけアンパンマン】のテーマ曲の詩を題材にして子供さんでも聞きやすく親しみやすい内容を心がけました。


法要は礼拝室で行いました。〈約25分〉


法要後に墓地へ参り、読経しました。

『重誓偈』


すると、リモートの画面には合掌して、大きな声で「南無阿弥陀仏、なんまんだぶつ•••」とお母さんがお称えされていました。


「あ〜、有り難いですね。」と私。


子供さんやお孫さんも皆んなが笑顔に。

お父さまが、リモート先のお母さんにもちゃんと阿弥陀さまが届いていました。

これがご本願のはたらきですね。

どこにいても、誰のもとにも阿弥陀さまははたらき続けています。


お念仏をお称えされているお母さんがみるみる笑顔でいっぱいになりました。

またそれをパソコン画面でみている子供さんやお孫さんも一緒になって笑顔になりました。


これが浄土真宗なのですね。


私が救うのではありません。

[師]ではないのです。[使]なのです。


仰せのままにお伝えしていけば、必ず伝わっていく道、それが阿弥陀如来の智慧であり慈悲のはたらきなんだと、私も喜びながら帰ってきました。


これこそが私の歩む道。


ひとつ、一つのご縁がすべて有り難い。



また別のご法事では、墓石に【倶会一処】とありました。《くえいっしょ》と読みます。

最近なかなか首都圏の墓地ではお見かけすることはありませんが、私の故郷、広島県ではごくごく見慣れたものです。

この文字は浄土真宗ならではの言葉です。


「皆さん、この言葉の意味がわかりますか?」と聞くと皆さまは、キョトンとされています。

自分たちのお墓なのにね。笑


これは亡きお父さんが建ててくれたものだそうです。聞くとお父さんは広島県のご出身であったそうです。素晴らしいですね。

知らず知らずのうちにみ教えが伝わっているのですね。


「私も故郷は広島県ですよ。」と言うと、お母さんや子供さん達が笑顔になられました。

不思議ですね、とご因縁を喜ばれていたようでした。


きちんと倶会一処の世界について、お取り次ぎをさせていただきました。

きちんと皆さまに、亡き人の参ってくだされた道が伝わっていてくだされたら嬉しいですね。

そして、お念仏のはたらき(南無阿弥陀仏)が届いて、今生きる人々の心に阿弥陀如来のご本願が届いて、今を確かに生きる「灯火」になればと願って止みません。


私自身も、毎日不安ですが、見えない大きな力に支えられ何とか「今」を歩ませていただいています。


そんな私にも、阿弥陀如来のご本願はおはたらきくださいます。

大きな、大きなおはたらきの中に不安でいっぱいの、この私をも包んでいてくださいます。


さて、明日もご縁に遇わせていただきます。

おやすみなさい。南無阿弥陀仏



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