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まかせよ救うという世界

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

皆さま、こんばんは。

先程、月一回の築地本願寺への報告を終えさまざまなご意見を賜りました。

先日発生しましたホームページ閲覧不可は、私の管理不行き届きが原因で更新料が支払えていなかったことでした。

理由は、最近3度クレジットカードの不正利用が発覚したためにその都度カード番号が変更となってしまい、その手続きができていなかったのです。


2年更新制なので今後はこのようなことのないようにしていこうと思います。

また今年からペット消臭機[SAP]を導入して家内のニオイ対策が劇的に変わりました。

そして今月からもう一台購入しました。

少しでも快適な空間を維持するために今後も努めていきたいです。

※SAPとは、(植物)樹液。

我が身を守るため

樹液には、樹木の内部から菌を追い出すために樹皮から浸透したり傷口から菌が入るのを防いだりする役割があります。

SAPは匂いの元となる菌を分解、除去し樹液のようにあなたの周りの心地よい空気を守ります。


◎人体に安全な低濃度(0.05または0.1ppm)のオゾンガスで新型コロナウィルスに対して除染効果があるということが発見されました。


◎人感センサーで必要なタイミングに自動運転

◎再生除菌脱臭ユニットでフィルター交換不要


かなり今までの空気清浄機より快適になりました。¥33.000ですので比較的お買い求めしやすかったです。

玄関、キッチン、トイレ、居間、ベッドルーム、ペット臭、ペットトイレの消臭に最適。


人間とペットの共存を持続するために超法寺は今後も努めていきたいと思います。


さて、先程の火葬時の現実についての本をご紹介しましたが、どれほど現場の方々がご苦労をされているか、また火葬場を訪れる方々の人間模様など以外と知らないことを現場を経験された方の生の声であります。

それをアニメ(絵)で見ると生々しいもので、これこそ諸行無常を知る機会となるのでしょうか。


私の恩師がおっしゃっていました。

恩師のご長男がご結婚された時、新郎新婦が本堂まで歩いていたら、外で救急車のサイレンが聞こえてきたそうです。

恩師は、「二人はこのサイレンの音をどのように聞いているのだろうか。」と。

恩師は常々、救急車のサイレンを聞くと、いずれ自分がこれに乗り、二度と帰ってくることはない時が必ず来るんだよなぁ、と思うのだそうです。そして新郎新婦はサイレンの音をそのように聞いてはいないだろうなぁ、と。


私はこの話を聞いてからずっと自分でもそうなるんだなぁと思うようにしています。

事実、母もお寺から救急車で運ばれて二度とお寺へ戻ることはありませんでしたからね。

あの場面は一生忘れません。

まさに夢幻のごとく『御文章』の【白骨章】ではないでしょうか。


明日ありと、思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは。


諸行無常の世界とは生きる上では、どんなに無いことを願っても必ず有ることばかりであると知ることです。

皆さまは、今夜も明日も明後日も来週も来月も来年もそのまた先もあると思っていますよね。


『歎異抄』には、

名残惜しく思えども、娑婆の縁尽きて力なくしておはるときに、かの土へはまいるべきなり。


と、あります。

これは我が父の人生最後の法話でお取次してくださったものでもあります。


「南無阿弥陀仏を我が身にいただくならば」

この世との別れをどんなに名残惜しく思っても、その縁が尽き、ちからなくして人生の終わり(死)をむかえるとき、浄土には参るのです。


「今」、生きる私が自分は必ず【浄土】へ参らせていただくのだと知らねば、どうして安心して命を終えていくことができましょうか。

金子大栄和上は、【浄土】とは〈魂の故郷〉であり、〈生の依るところ〉であると言われます。

つまり浄土とは、死後の世界の話ではなく、むしろ、私たちの人生の究極的な依りどころであり、人生の意味を明らかにするものです。

私たち人間があまり聞きたく無い「死」という言葉を通して浄土のそのような意義を示そうてされたのではないでしょうか。


南無阿弥陀仏を聞かせて頂けたら、〈死んだらおしまい〉とはなるはずがありません。

そこをきちんと尋ねていく生き方こそ私たちがこの人間世界を生きている、生きていく意義だと私は考えています。


[死んだらどうなるの?]

[生きてたって仕方がない]

[自分の居場所なんかない]

[家族も友達もいない]

[誰も自分のことをわかってくれない]


そんなことを思いながら毎日を過ごしている人なら、このことは本当ではないことを知りませんか、知って生きてみませんか?


[死んだら、二度と迷いも苦しみも悩みも、腹立ち、妬み、愚痴もない、そして輪廻転生しない仏のさとりに遇わせていただけます]


[生きているだけで丸儲け]明石家さんまさんの名言ですが、生きているしあわせを知ることができます。


[仏さま、阿弥陀さまはいつも私とご一緒に歩んでくださいます。だから居場所がないなんてことはないんだよ。超法寺の本堂はあなたの居場所ですからね。]


[大丈夫という感じには同じ字が入っているよ。知っていますか。「人」という字です。つまりは生きている中で私がいなくなってしまったら悲しむ方が何人いるか考えてごらん。三人いれば大丈夫だよ、生きてごらん]


[一人は阿弥陀さま、二人は親鸞さま、三人は蓮如さま。つまりは大丈夫だよと知ってね。阿弥陀さまは決してあなたを責めたりしません。そのままのあなたを温かく見守っていてくださいます]


どうですか?

無宗教ですからと宗教を遠ざけておられる皆さま、真実ではない「欲」の宗教ばかり身近だったのではないかな。人間の欲を叶えるための宗教には残念ながら真実はありません。

長い歴史の中で証明されているではないかな。

真実とは、私が気づかない世界からお見抜きしてくださっている真理のはたらきです。

その真理のはたらきが喚び声となって既にここに届いているのですよ。


ナンマンダブツ、なまんだぶ、南無阿弥陀仏と。聞いたことあるでしょう。

これは呪文でも題目でも供養でもありません。

あなたに真実に気づいてくれよ、の親(阿弥陀)の願いなのです。【親さまの喚び声】

あらゆるものを南無阿弥陀仏一つで間違いなく救いたい、本当のしあわせにしてあげたいという願い(本願)なのです。


どうぞ、無駄なものなどありません。

あなたらしく生きていける世界は、南無阿弥陀仏を声に称えながら生きていくことだから。


まかせよ救う。

[阿弥陀の誓い]


何と頼もしいお言葉ではないでしょうか。

私は常々そう思っています。


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