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執筆者の写真超法寺の住職

小さないのち、大きな願い

皆さま、こんにちは。穏やかな一日になりました。

いかがお過ごしでしょうか。

どうもiPhone では途中で文章が固まって記入できなくなるのでiPad で書きます。こっちはどうかな。

今日は、さいたま市でご縁をいただきました。

法話で「皆さん、4月8日は何の日か知っていますか?」と聞くとキョトンとされました。「では、12月25日は何の日ですか?」と聞くと嬉しそうに「クリスマスです。」とお答えになれました。「あれ?皆さまはクリスチャンですか?違いますよね?」浄土真宗は仏教ですから、本来は4月8日がお釈迦さまのお誕生日だと知っているものだと思いましたよ、というと皆さま苦笑い。

花祭りと言いますよ。なんか悲しいですね。

「では、お母さまは、今どこにおられますか?」と聞くと、お外を見ている。

きっとお墓にいるとでも思っていたのでしょうか。

こういうところから法話が始まると面白いですよね。


いきなり南無阿弥陀仏とか、阿弥陀さまとか言ってもまず聞こうとも思わないし、考えようともしないもの。子供さんなどあくびしちゃいますもの。

なかなか皆さまに法話をお伝えするって難しいのですよ。

死んだだけでは良いところへは行かれませんというと、やっぱり皆さまキョトンとする。どうも、死ねば仏の言葉だけが一人歩きをしているようです。

そんな言葉なんかないのですよ。『教行信証』のどこにも書いてないのですよ。

そんなことなら、神さまも仏さまも必要ないですから。

わからない私がいるから、真実なる法があるのです。真実がわからないから向こうから(仏)届けてくださっているのです。それに気づいてくれとの願いがあるのですよ。

ご法事はそれを知るための場であります。誰が何のためかとは、亡き人のためではなく、今ここに無常を生きている私です。真実がわからないまま生きている、危なっかしい私のためなのです。

【弥陀の本願を信じ、念仏もうさば仏になる】

              『歎異抄』

死んでではなく、今、阿弥陀さまにおまかせする私になって今、救われる私になるのです。だから死ねばじゃないんです。


ちなみに4月11日は何の日でしょうか?


金子みすゞさんの誕生日ですよ。1903年です。

 青いお空の底ふかく、海の小石のそのように、夜がくるまで沈んでる、

 昼のお星は眼にはみえぬ。みえぬけれどもあるんだよ、みえぬものでもあるんだよ

 よ。


 散ってすがれたたんぽぽの、瓦のすきに、だアまって、春のくるまでかくれてる、

 つよいその根は眼にはみえぬ。見えぬめれどのあるんだよ、見えぬものでもある

 んだよ。                  『金子みすゞ童謡全集』より


「星とたんぽぽ」という詩です。

風に吹き飛ばされたたんぽぽにいのちを認め、そのたんぽぽを支える地下の根の働きを讃える眼を自分は持っているのか、と心揺り動かされますよね。

私たちはさまざまな不安にかられ、心の病を抱えています。

しかし、大地の奥深くで根っこと根っこはからみあい、共に支え合って小さな命をささえていると驚かされるとき、小さな命にかけられている大きな願いに眼が開きます。みすゞさんの生まれた山口県仙崎は浄土真宗の教えの豊かな地であります。

「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」という眼差しはきっと、阿弥陀さまの大きな願いが生活の中にある、そんな素敵な場所ではないのでしょうか。皆さまの周りには、南無阿弥陀仏の声が身近でしょうか?


お釈迦さまも、ナンマンダブツの声(他力本願)に生きていくことを最優先にお伝えくださいました。その有難い方のお誕生日はわが親のように祝いたいものですね。

私はそう思います。

南無阿弥陀仏



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