安堵に生きるには
更新日:2022年12月17日
皆さま、おはようございます。
今日も朝から冷えていますね。
お身体にはくれぐれもご自愛ください。
あまり浮かれずに新型コロナにもインフルエンザにも気をつけましょう。
[死ぬことのありて安堵や老いの冬]
〈山口新聞 藤野リツ〉
改めて我が命が昨日と同じくあることの不可思議さを感じながらお味わいさせていただきました。
私も誰も彼も皆死ねるのです。
生きているとは、生きねばならないはたらきがあると思っています。意味は今はわからずともあるはずです。それに気づかせていただくためにも生きるのです。
ただ死ねるからといって急ぐことはありません。
身心がどんな状態になっても、苦しくとも辛くとも、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とお念仏を称えながら共に苦しみ、共に悲しんでいてくださる阿弥陀さまとご一緒に生きていくのが私たち念仏者ではないでしょうか。
お念仏が称えられなくても阿弥陀さまは捨ておかれません。あらゆる手立てをもって私たちに届けはたらかれておられますから。
南無阿弥陀仏がこの耳に届いてくださるということがその一つだと思います。
南無阿弥陀仏がきけたらもう大丈夫!
阿弥陀さまに全部おまかせして今を生きていくのです。
子どもや孫や親しき人たちに今のあなたの姿をよく見せてあげましょう。
老いる姿を、病の姿を、そして死に往く姿を見せてあげましょう。
それこそ、親として縁ある人を導き育てること、そして仏さまのはたらきが、すでにできているのかもしれません。あなたのその姿を縁ある人が見ています。
南無阿弥陀仏を称えて生きている人は、お浄土に生まれ仏になる功徳も、仏となって迷い苦しむ人々を導き救うという功徳も、すでに我が身にいただいているので安穏であります。
無始流転の苦を捨てて(阿弥陀さまのお力で)、無上涅槃を期する。
やがて終わります。
人生の終わりを縁として、お浄土に生まれ仏さまにならせていただくのです。
その日を静かに待ちながら、今を大切に生きていきましょう。
私はそれを今年、両親からしかと知らせていただきました。南無阿弥陀仏
二度とない今日を是非大切に。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏