大和[奈良県]の清九郎(1677ー1750)
[財布を拾う]
この清九郎という人が
阿弥陀仏の本願によって絶対の幸福に救われて大変喜んでいました。
それを見ていた寺参りの友達は、いつも、
「おい清九郎は、救われたと言っているけど、欲や怒りの煩悩はどうなったのだ。」
と思っていました。
「あれだけ絶対の幸福を喜んでいるから、もし本物なら、煩悩はだいぶ少なくなっているんだろうなぁ」と思う人がたくさんおられました。
そういう友達が集まって、清九郎を一度テストすることにしました。
清九郎は毎朝、お寺へ行って阿弥陀如来に合掌礼拝するという習慣がありました。
そこで、お金をたくさん入れた財布を本堂の真ん中にぽつんと置いたのでした。
その財布を清九郎がどうするのか、本堂横の障子戸の向こうで見ていました。
するとそこへ今朝も一番最初に清九郎がお念仏を称えながらやってきました。
清九郎が本堂に入るとパンパンにふくれた財布を見つけたのです。清九郎は辺りを見渡すと財布を拾って懐にしまいました。
友達は障子戸の向こうでその様子を見ています。
ここまでは、煩悩即菩提の絶対の幸福ですからそういうこともあるのかなと思いました。
ところがさらに清九郎は、阿弥陀如来にも合掌礼拝せずにここでくるっと回り本堂から出て行ってしまったのでした。
その様子を見ていた友達は、
「あれだからなぁ清九郎は、ひどいよな」
「やっぱり口だけだったな」
と言って、本堂へ出て行こうとしました。
すると、また清九郎がお念仏を称えながら入って来たのです。本堂の阿弥陀如来の前に座って、懐から財布を出して泣きながら言うのでした。
「阿弥陀さま、清九郎はこんな幸せな身にさせていただきながら、また汚い心が出てしまいました。申し訳ありません。申し訳ありません」と懺悔すると同時に、
「こんな情けない奴をようこそお助けくださいました。阿弥陀さま」と、歓喜の涙を流して財布は阿弥陀さまの前に置いて、お念仏を称えながら家へ帰ったと言われます。
[清九郎の臨終]
清九郎は臨終にとても苦しんでいました.元気な時はよく一緒に仏教の教えを聞いていた友達が、「清九郎よ、つらいだろう。でも、もうちょっとで極楽だから念仏称えな」と言います。
すると清九郎は、辛い辛いと言いながら二言三言念仏を称えて、また苦しみ始めました.するとまた友達は、
「辛いだろうが、もうちょっとで極楽だからな、念仏称えな」と言います。
するとまた清九郎は、辛い辛いと言いながらガバッと起き上がって座り、両手を合わせ、
「清九郎はこのままのお助けじゃー!」
て言い、そのまま息絶えたと言われます.
このように、生きている元気な時に苦悩の根元が断ち切られて絶対の幸福に救われる、平生業成(へいぜいごうじょう)の教えを臨終まで明らかにしていったのでした。
※【平生業成】は、「平生に業事成弁(生きている平生に、往生の業事が完成する」という意味です。これは浄土真宗の宗祖親鸞聖人の教義を漢字四文字で表したものです。
✖︎平生の行いと使われる場合がありますが誤用です。
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