皆さま、こんにちは。
今日も良い天気に恵まれました。
おかげさまで洗濯物がよく乾きそうです。
今日も精一杯頑張ります。
前回に続いて【妙好人】についてご紹介します。
妙好人とは、日本の江戸~明治を生きた人々です。常識とは違う独特な言動を行ったため、彼らの逸話は『妙好人伝』という書物に記録されました。
妙好人に注目して初めて海外に紹介したのは、欧米に禅の思想を広めたことで有名な【鈴木大拙】博士(1870~1966)でした。
ちなみにガソリンスタンドの出光の筆文字は鈴木大拙博士が書かれたものです。
知っていましたか?
先ずは有名な妙好人、庄松さんです。
【すぐ隣は極楽浄土】
庄松さんが旅先で病気にかかった時の話。
知人が庄松さんの住む村まで送ってやり「もう地元に着いた、安心しなさい」と言うと、彼は「どこにいても、そこが極楽の次の間だ」と答えました。
※極楽とは、極楽浄土のこと。阿弥陀如来が建立された苦悩のない喜びの世界
【ここはまだ娑婆か?】
ある日、知人らとともに船に乗った庄松さんは、ひどい暴風雨に見舞われました。生きるか死ぬかという緊急事態ですが、庄松さん一人だけがいびきをかいて寝ていました。
知人たちが「一大事だぞ、なぜ悠々と寝ているのだ」と叫んで、庄松さんを叩き起しました。
すると彼は平然として「ここはまだ娑婆か?
」と返答しました。
※娑婆とは、現世、この世のことです。この逸話は庄松さんが死ぬと同時に極楽浄土に迎え取られる、という世界に常に安住していたことを示しています。
○このように庄松さんは、【いつ死んでも大丈夫】と言える境涯を生きていました。
絶対的な安心を得ており、【安心して死んでいくことができるおかげで、また安心して生きることができていた】わけなのです。
⬛︎谷口庄松(1799~1871)香川県生まれ、農業の他、子守りなど雑多な仕事をして暮らしていました。
妙好人を生んだ教え
◎修行が必要のない教え
仏教で悟りを得るといえば、基本的には、厳しい仏道修行を行う必要があります。
代表的な修行として、滝に打たれる、座禅、だんじき、断眠などがあります。
そうやって煩悩(苦悩の原因)を克服して、心も行ないも清らかにすることで悟りを開きます。その結果、苦しみの世界から抜け出せるというのであります。
しかしながら、浄土真宗では修行する必要がありません。
自分の力で悟りを開くわけではなく、阿弥陀如来という仏さまのお力(本願力、他力)によって、苦しみの世界から抜け出せるというもの。
私たち人間は、「死」への恐怖や人生の孤独など、常に苦悩の中にいきています。
妙好人の言動にはそのような悲壮感は見当たらず、【人生の根本的な苦しみから自由になっている】そんな印象を受けます。軽やかに人生を笑い飛ばしているようにすら思えるのです。
これこそが親鸞聖人が歩まれたお念仏の道ではないでしょうか。
やはり阿弥陀如来をこちらにおいて語るせかいではなく、阿弥陀如来の中にある生き方こそが他力本願の道ではないのでしょうか。
お念仏を日々称えていても、なかなか妙好人のような生き方にはならないのです。
身心で阿弥陀さまを受け入れていくのですね。
何でもかんでも、南無阿弥陀仏と言えば済む話ではないのですね。
蓮如上人は、『ご文章』の中で常に「寝てもさめても念仏申さるべし」と、仰っておられます。
これを実践した方は私は一人しか存知あげません。熊本県阿蘇の今は亡き工藤義修先生(浄土真宗の生活信条を考案された)ただ一人です。
懐かしいです。先生と出遇えてしあわせでありました。
ナンマンダブツ
いかがでしたか。
また妙好人についてご紹介しますね。
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