三河のおそのさんのお話です。
「只今から、阿弥陀さまのお申しわたしを一言お伝えする。各々、心して聴聞せられよ。」
「そのお申しわたしとは、たとひ十悪五逆の罪人であろうとも、われ(阿弥陀)をたのめ、必ずたすくる。これが阿弥陀さまの仰せじゃ。」
こう言って、おそのさんは退堂された。
皆は、呆気に取られ、しばらくして不満の声が・・・・・。
「ありがたいことじゃ。百のものを十につづめ、十のものを一つにして、ようこそ
親さまのおおせを知らせてくだされた。こんなうまいことは、御講師さまでなければ聞かれぬことじゃ。」
そう大きな声で言うと、おそのさんは、お念仏を称えながらさっさと帰っていかれた。
○信心に恵まれない・・・・・安心したいと悩む方にアドバイスを。
※必ず安心感が得られる方法があるが、あなた二、三年やってみる気はあるか?
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安心さえ得られるなら、どんなことでもやるつもりです。
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「では、二、三年の間、お差し支えなし、ご注文なし、と言いづめにしてみなさい」
と言われた。
【そのままの救い】と浄土真宗ではよく言われる。
凡夫(死ぬまで煩悩から離れられないもの)が凡夫のまま浄土に往生できる、
まことに希有な教えであります。
その簡明さ、平易さゆえに、自分も何かしなければならないのではないか、とはからう心がはたらいてしまう。
これが、この「はからい」が安心を遠ざけるのです。
言わば、阿弥陀さまの大慈悲を拒む心だ。
おそのさんにはそれがわかっていた。
私たちはよく勘違いしてしまうので、よくおそのさんのお味わいを聞きたいものです。妙好人の世界は常にこちらではなく、阿弥陀さまの方にあるのです。
それがつい、わかったつもりでこちらへおいてしまう。だからまたわからなくなってしまうのです。
このままではなく、そのままの救いであります。
ナンマンダブツ
(続く)
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