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執筆者の写真超法寺の住職

如来さまがお出ましになられたのは

更新日:2024年5月16日

皆さま、こんにちは。

今日は暑かったですね。お天気にも恵まれました。朝から「くらしのマーケット」の業者さんに来ていただいてお仏壇などの大潟荷物を運んでいただきました。さすがにあの仏壇を私一人では運んで2階の仏間には持ち運べませんからね。それでなくても腰が悲鳴をあげているのだから。


また今日はリフォーム後の清掃作業もしていただきました。いよいよ完成ですね。

まだこちらへ運んだ荷物[ダンボール]が山積みですから、これを少しずつしまわねばなりません。後2週間あればいけそうな気がする〜。


さて最近ブログを更新するパワーが無いために楽しみにしてくださいます方々には申し訳ありません。wi-fiがないので画像がアップできません。もうしばらくお待ちくださいませ。


久しぶりに『正信偈』のお言葉をお味わいします。

【如来所以興出世】(にょらいしょいこうしゅっせ)[如来、世に興出したまふゆゑは]


【唯説弥陀本願海】(ゆいせつみだほんがんかい)[ただ弥陀の本願海を説かんとなり)


【現代語訳】

如来が世に出られるのは、ただ阿弥陀仏の本願一乗海の教えを説くためである。


皆さまもよくご存知のお釈迦さまが【真実の法】をさとられ、ブッダ(仏)になられました。真実の法とは、[如来が世に出ようが出まいが法として定まっている。法として確立している、真理である。と述べておられます。

お釈迦さまは、【永遠性】、【普遍性】のある【真理の法】に目覚められ、さとられたのです。


数しれない人間の中で、この世でブッダになられたのはお釈迦さま一人です。

そのお釈迦さまがさとられた【真実の法】が、お釈迦さまによって人間の言葉で説き明かされるようになったのです。

それを【説法】(せっぽう)といいます。

その説法を今に伝えているのが【お経】です。

私たちはそのお経によって【阿弥陀仏の本願】を教えていただくのです。


『仏説無量寿経』には、

如来はこの上ない慈悲の心で迷いの世界をお哀れみになる。世にお出ましなになるわけは、仏の教えを説き述べて人々を救い、まことの利益を恵みたいとお考えになるからである。

と、とかれているからです。

これを【出世本懐】(しゅっせほんがい)といいます。

「如来」とは、この世に出られた釈迦如来のことですが、他方の世界に出られた諸仏も含まれているといいます。


【本願海(本願一乗海)】は、本願名号【南無阿弥陀仏】の功徳が深く広いことを海にたとえたものです。

親鸞聖人は、釈迦如来の本意を説かれた教えは『仏説無量寿経』であると、色々なところで明示されています。つまり『仏説無量寿経』が阿弥陀仏の本願を説く【出世本懐】の経なのです。


教主世尊は弥陀仏の 誓い説かんと生れたもう


『しんじんのうた』の一節です。



ここで日蓮宗の方々からは『法華経』こそが出世本懐であると言われることもあることをご紹介しますね。

※自力修行のできるもののために説かれた出世本懐が『法華経』であります。


反対に下凡劣機(げぼんれっき)の衆生のために説かれた出世本懐が『仏説無量寿経』です。

如来の真意からいうならば、鈍根劣機(どんごんれっき)の衆生を救う『仏説無量寿経』の説意こそ真の出世本懐であると、存覺上人は述べられています。

ここで出てきます[下凡劣機•鈍根劣機]とは、どんな衆生(いのち)なのでしょうか。

『正信偈』には、「五濁悪時群生海」(ごじょくあくじぐんじょうかい)、【五濁悪世•劫濁•見濁•煩悩濁•衆生濁•命濁】『仏説阿弥陀経』をいいます。

またお話しますね。

少し疲れました。体力Emptyなり。

南無阿弥陀仏、なんまんだぶつ

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