如来から賜った大行が私の行となり、
如来から賜った大信が私の信となり、
常に如来の力をいただいて、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
あぁ、そうだな、そうだなと、頷き
この人生を立ち上がって歩かせていただく
のです。
南無阿弥陀仏に恵まれたおかげで、人生を生きるまんまが死んで行かねばならない人生でも、これがあるから生きても行ける。
死んでも行けるんだ。
それがお念仏(南無阿弥陀仏)を声に称えていただくのです。
この自分さえ良ければ他人のことなんか後回しでもよい•••という煩悩具足の愚かな濁水の中に、やってもやっても満足せず、悩み苦しみから逃れられない私の中に、功徳の宝海(ほうかい)の南無阿弥陀仏が流れて満ち溢れてくださるから、群萌と言われるすべてのものが、南無阿弥陀仏ひとつで間違いなく救われるのです。
【生きること、楽しくあれば、死すことも、素直に受けて、南無阿弥陀仏】
お念仏して不幸がなくなるのではなくて、どんなに不幸であろうとも、それを通じて、それを超えしめるのが、南無阿弥陀仏のお念仏です。
この世の順境、逆境、喜びや悲しみが様々ある中に、その逆境にもくじけることなく、力強く正しく恐れず、へこたれず、生き抜かさせていただく力、それが南無阿弥陀仏のお念仏です。
【人は苦悩すべき、生まれ泣くべき育ち、やがて
死ぬべき生きている。
そのかけがえない営みをどうして、あんなにわからなかっただろうか。若い日よ。】
[詩人•竹内テル子]
人生におこるすべての出来事、順縁も逆縁も意味づけられて輝きを見出すことができるのです。
これらすべて、南無阿弥陀仏のお念仏に遇わすための阿弥陀如来(他力本願)のお計らいなのです。
追伸
入間市の隣市で起きた家族三人をハンマーでめった打ちにして殺害された凶悪事件は実に衝撃的でありました。顔を判別するのに数日かかったほどの狂気は、背景に一体どのようなことがあったのでしょうか。また過去に三回も逮捕されたというのに、すべて不起訴になったことが今回とどのような繋がりがあるのか。どうして未然に防げなかったのだろうか。色々考えさせられる事件ですね。
皆さまは、どう思いますか?解決して安堵しましたか?そうだったら危険では無いでしょうか。
身の回りで多少のトラブルがあるならば、それがまた今回のような事件に発展することも十分考慮してお付き合いいただきたいものです。
先ずは、【挨拶】を交わそうよ。
聞こえたのに無視することは止めよう。
そういう大人気ない態度が凶悪犯罪につながる危険性があると思っていますよ。
嫌いとかじゃなくて、挨拶されたら挨拶しよう。
それが人間社会のルールだから。
このような凶悪犯罪は【人間】がする。
【動物】は決してしませんから。
肝に銘じていただきたいですね。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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