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変わらぬ人生の問い

皆さま、おはようございます。今朝のニュースでやはり明日から明後日にかけて

関東地方は雪に見舞われるようです。特に山岳部は本格的な雪となるようなので十分

気をつけねばと思います。おかげさまで車は四駆で冬タイヤ装着済みですので、

余程のことがない限り皆さまにご迷惑をおかけすることはないと思います。

ノーマルタイヤの方はチェーン装着を怠らず、お持ちでない方は運転をしないよう

お願いいたしますね。小雪でも危険だし周りに多大な迷惑になります。

雪道を侮らないようにしてください。


さて、私たちが生きていく中は思いがけないことが起きる。それも時も選ばずに。

生まれるとはいつでも縁が尽きれば若くとも元気でも例外なく命終わっていかねば

なりません。また若さを追い求めても必ず老いからは逃れることはありません。

元気だと胸を張っても必ず病気にはなります。お酒が好き、タバコが好き(電子タバコも同じ)、食べることが好きな人も病気のリスク回避は難しいですよね。

むしろ持病持ちの方が自分は油断すれば大事になるという自覚があるだけ違います。

(全員ではないけど、私はそう思って生きてる)


このように人間とは大昔から何も変わってはいないのです。

それはお釈迦さまの時代からもです。

いっけ、便利だと思っている、医療が進歩しているなど確かに平均寿命は伸びている

でしょうが、これは今生きている私たちのことではありませんよ。平均は決してMAX

ではないのです。油断してはなりません。心しておかねばなりません。

待ったなしですから。


今朝はお釈迦さまを例に人生の問いについてご紹介します。

ヒマラヤの南のふもとを流れるローヒニー河のほとりに釈迦族の都、カピラヴァスツがありました。その王シュッドーダナは、そこに城を築き善政をしき、民衆は喜び従っていました。王の姓はゴータマであった。

妃マーヤー夫人は同じ釈迦族の一族であるコーリヤ族と呼ばれるデーヴァダハ城の姫で王の従妹にあたっていた。

結婚後長く子に恵まれず、二十数年の歳月後のある夜、白像が右脇から胎内に入る夢を見て懐妊した。王の一族を始め、国民ひとしく指折り数えて王子の出生をまちわびたが、臨月近く妃は国の習慣にしたがって生家に帰ろうとして、その途中ルンビニー園に休憩した。おりから春の陽はうららかにアショーカの花は麗しく咲き匂っていた。妃は右手をあげてその枝を手折ろうとし、そのせつなに王子を出産した。


天地は喜びの声をあげて母と子を祝福した。時に四月八日であった。

シュッドーダナ王の喜びはたとえようにないもので、一切の願いが成就したという意味のシッダールタという名を王子に与えた。

しかし、喜びの裏には悲しみもあった。マーヤー夫人はまもなくこの世を去り、

王子は以後、夫人の妹マハープラジャーパティーによって養育された。

太子は七歳の時から文武の道を学んだ。田園に出て農夫の耕す様を見ているうち、

すきの先に掘り出された小虫を小鳥がついばみ去るのを見て、「あわれ、生きものは互いに殺しあう」と呟き、ひとり木陰に座って瞑想した。

生まれてまもなく母と別れ、今また生きものが殺しあう有様を見て太子の心は早くも人生の苦悩は刻まれた。それはちょうど若木に付けられた傷のように、日と共に成長して太子をますます暗い思いに沈ませた。


太子十九歳の時、ヤショーダラーを迎えて妃に定めた。

この後十年の間、太子は春季・雨季・秋季それぞれの宮殿にあって歌舞管弦の生活を送ったが、その間もしきりに沈思瞑想して人生を見極めようと苦心した。

「宮廷の栄華も、すこやかなこの肉体も、人から喜ばれるこの若さも、結局この私にとって何であるのか、人は病む。いつかは老いる。死を免れることはできない。若さも、健康も、生きていることも、どんな意味があるというのか。人間が生きていることは、結局何かを求めていることのほかならない。しかし、この求めることについては、誤ったものを求めることと、正しいものを求めることの二つがある、誤ったものを求めることというのは、自分が老いと病と死とを免れることを得ない者でありながら、老いず病まず死なないことを求めていることである。

正しいものを求めることというのは、この誤りをさとって、老いと病と死とを超えた、人間の苦悩のすべてを離れた境地を求めることである。今の私は、この誤ったものを求めているに過ぎない。」


このように心を悩ます日々が続いて、月日は流れ、太子二十九歳の年、この俗世界とぼつながりを断ち切って出家の身となった。

太子は髪を剃り、食を乞いつつ南方に下った、

太子は、始め仙人を訪れてその苦行の実際を見、また自らそれを実行した。

しかし、それらは結局さとりの道ではないと知った太子は、マガダ国に行き激しい苦行をしたのです、まことに激しい苦行であった。

しかし、この苦行も太子の求めるものを与えなかった。

そこで太子は、六年の長きにわたったこの苦行を未練なく投げ捨てた。

沐浴して身の汚れを洗い流し、乳粥の供養を受けて健康を回復した、

太子は静かに木の下に座って、命をかけて最後の瞑想に入った。

「さとりを得るまでは、私はこの座を立たないであろう」


その日の太子の心はまことにたとえるものがないほどの悪戦苦闘であった。

血は流れ、肉は飛び、骨は砕けるほどの苦闘であった。

しかし、夜明けを迎えて明けの明星を仰いだとき、太子の心は光り輝き、悟りは開け、仏と成った。それは太子三十五歳の年の十二月八日の朝のことであった。


これより太子は仏陀、無上覚者、如来、釈迦牟尼、釈尊、世尊などのさまざまな名で知られるようになった。

『仏伝』『パーリ増支部』『パーリ中部聖求経』


苦悩の人生をどのように生きるかはそれぞれであります。

ただ、欲のままに身を任せても苦悩から逃れることはありません。

「死ねば仏」とは、ただ死ねばいいところへいけるのではありません。

悟りの道を歩むことができなければなりません。

仏教では死ぬ迄煩悩から離れられない者を【凡夫】といい、神仏から見放された存在を表します。その見放された者を救ってやりたいと願いをお建てくださった阿弥陀如来のご本願、【南無阿弥陀仏】を我が口に称えさせていただくことでこの身のまま、往生をさせていただくのが浄土教、浄土真宗のみ教えであります。


ただ、そう簡単ではありませんよ。

やってごらんなさい。皆さまの口に声になってくれますか?

南無阿弥陀仏、ナンマンダブツが声になって出てくれますか。

我が身にいただきませんと声にはなりません。

赤ちゃんのような私がお父さん、お母さんを呼べるようになったように。


この人生の問いは他人事ではありません。

私も皆様も生きているということは今日でも明日でもその先、いずれ必ず終わっていく命を生きているのです。

生まれてきて良かった、生きてきて良かったと思える私になりたいものですね。

どうですか?私であって良かったですか?

まだ他人と比べて羨ましいとか不足を言っておられませんか?

是非、お釈迦さまの人生を我が人生と重ねつつお味わいさせていただいてください。

それがきっと、あなたのお父さん、お母さんの皆さまへの願いではないでしょうか。

そう思うのです。


ナンマンダブツ


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