亡者とは、腹が立つだけれども、責める力がない人は言い訳をします。
「仕方がなかった、だから私には責任はない」と言い訳をしながら生きているのが【亡者】
鬼と亡者がペアで住んでいる所が地獄
立派な家を建て、素晴らしい家具や調度品を整えても何かあったら「お前がつまらん」とツノをはやしたり、「あれは仕方がなかった」と言い訳をしながら追いかけたり逃げたり、責めたり言い訳をしたりしている者の住む場所が【地獄】です。
新しい家ができて新しい家庭ができるのならいいが新しい家が建って【地獄が一つ増えることになっていることが多いのではないでしょうか】
地獄と言ったら、死んでから行くところと思っている人が多いけれど、私たちは【死ぬ前から地獄に住んでいるのじゃないでしょうか】
地獄は誰かが作って、誰かが用意してくれているのではありません。
【地獄は自分の業(おこない)】によって作っているのです。
瞋恚(しんに)[怒り]の煩悩に引きずり回されているものが住むところが「地獄」です。
◉地獄の正しい字は【自業苦】ですよ。
だって私たち人間は、常に自分は正しいと思って生きています。だから相手を無視したり、文句を言ったり、注意したりします。
いつも他人が悪い、他人が間違っている。
親鸞聖人は煩悩について、「煩というは身を煩わし、悩というは心を悩ます」と言われています。
煩悩=我が身心を苦しめる心の動き
いやはや、今年もライオンズの開幕スタートは黒星ですな、昨日は勝てたはずなのに勿体ない。腹立つわ。
このように自分の思い通りにならないことで腹立つ、つまり地獄を作り出しているのです。
センバツは山梨学院が春夏通じて初優勝。
まさか報徳が負けるとは思わなんだ。
山梨学院はお見事ですね。おめでとうございました。
SNSを見ても(あまり見ない方がしあわせ)皆、自分の偏見で溢れている。
やはり、【念仏のみぞまことにておわします】
人間の手垢が付くと地獄が近づく。
それでも人間は、南無阿弥陀仏がわからない、いただけないし、聞けない、疑っているから称えることができない。
しかしそれでも阿弥陀さまは、それでもそれでもとはたらき続けておられるのです。
それは助からん私たちを、仏の大慈悲心の願いがあるからです。わからんまんま、わかってほしいと願いを先手をうち届けていてくださるのです。
日々、地獄ばかり作っている私たちを、南無阿弥陀仏一つで[真実のしあわせ]に仕上げられてあるのです。
だから、私たちができるのは理屈をこねくりかえしたり、わからない人にわかりやすい言葉で表現しようとして失敗します。
手垢をつけてしまうからですよね。
そのままで、ありのままでいいんです。
わからせて救うじゃない。
わからんまんま、阿弥陀の親心でそのまま救うのです。
南無阿弥陀仏が今、私に聞こえているということは、もう私に仏の願い、誓いが声となって届いていてくださるのだからもうそれでいいのです。
御礼は誰かに言われて言うことではありません。嬉しい気持ちがあればごく自然に言葉となって現れます。
それが私の愚痴をいう口から出てくださる感謝の言葉、それを南無阿弥陀仏というのです。
❌地獄[自業苦]は、煩悩から離れられない人間(私)が作るのですよ。
◉そんな神さまや仏さまが見捨てた私だからこそ、阿弥陀如来の願い(ご本願)が誓われたのです。有難いですよね。
えっ?まだありがたくない?やれやれ。
それでも阿弥陀さまは、そんな私に目覚めを促しておられるよ。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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