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地獄は人が作り出すのです

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

皆さま、おはようございます。

今日も真夏の陽気ですね。

是非熱中症対策を怠らないようにしましょう。


さてお盆(盂蘭盆)はいかように仏縁を結ばれておられますか?

日々の暮らしの中で安穏にしたいならば、やはり仏法を聞いて生きていく他にはないと思います。


昨今の某宗教団体が連日報道されていますが、献金はほとんど日本人であります。

それではなぜ日本人ばかりそうなるのでしょうか。それは日本人が世界と比べて圧倒的に無宗教、無信仰だからだと思います。

データによりますと、日本人平均の信仰数は総人口を約4割も多いのです。


これはもちろん赤ちゃんも含まれるので実際には一つだけを信仰しているのではないことがわかります。


お正月や受験、出産、家内安全などは神社、お葬式はお寺さんに来てもらって、クリスマスはキリストさんを祝う⁈まぁそれがごく当たり前なんですね。これは日本人特有の宗教観と言われます。


結婚式では、先祖代々は仏教なのにどうしてか違いは教会で神様に誓うのですね。


こんな世界的に見ても稀有な宗教観が日本にはあります。

また某宗教団体は常套手段として宣伝に芸能人、著名人、政治家をお金を払って来てもらいます。

大概の人たちは、あの有名人が来ているのだから間違いないだろうと簡単に騙されています。


あくどい団体や詐欺集団は昔から当たり前にこのような手を使うのです。

一種のオレオレ詐欺的手法を使ってそれにまんまと引っかかってしまう。

これが私たち日本人特有の姿ではないだろうか。


信仰を持つとは、正しいことを正しく理解していくのです。数打ちゃ当たるは無いのです。


もちろん浄土真宗のみ教えは人間の側に置いて見ていくとわからないのです。

仏(阿弥陀如来)の側に身を置くからこその不可思議なおはたらきによってそうなるのです。

「自然」(じねん)の世界であります。


真実ではないものは、ほぼ必ずと言って「地獄」に堕ちるに恐れさせ不安のために献金させてそこから脱却させると説いています。

悲しいですが、人間の欲に神仏は影響されません。


神様にどんなにお願いしても無駄だと言われます。何故ならば神様の言われることを無視した上で私のわがままな願いを聞いてください。

お賽銭¥100⁈

皆さまは、誰かからお願い聞いてよ!って言われて¥100あげるから〜って聞かないですよね。

自分が聞かないことをどうして神様は聞くのでしょうか。


そんなことすらわからなくなるのが人間の「欲」の恐ろしさなのですよ。

「欲」を煽って脅してお金を出させる。

結局、過去に世を騒がせたオウムなどと同じなのです。


せっかく皆さまのご先祖が子孫の私たちのために正しい仏教を伝えてくださったのに(正しくないものや今の時代にはそぐわないものもあります)それに背を向けて間違った宗教観の中に埋没している、その隙間に怪しい宗教団体は入り込むのです。


借金をしてでも献金させたり、家族を苦しめてでも献金する。誰かを傷つけて宗教団体のためにするなんて正しいはずがないのに、それがわからなくなってしまうから人間は悲しい。


仏法聴聞して生きていくならば、そのようなまやかしに出くわすことは無くなっていくんじゃないかと思います。少なくとも私はおかげさまでそのように生きていますよ。


地獄は人が作り出す。


浄土は仏があらわされる。



今こそ、皆さまのご先祖さまの往き先を尋ねてみませんか。それはそう遠く無いうちに私自身が行くべき世界でもあるのだから。

ご先祖の往き先がわからないということは、私自身がどこへ行くのかわからないで生きているってことですから、もちろん安心して生きていけないですよね。


ちなみに『往生要集』には地獄の世界が紹介されていますが、お盆に地獄からご先祖が帰ってくるなどと思っている方々には是非知って欲しいな地獄の真実を。


地獄の一番罪の軽い世界で寿命は1000000000000年だそうですよ。

地獄は死んだ人が行くのですか痛みはあるのだそうです。

嘘つきが堕ちる地獄では、鬼から舌を延々と抜かれ続けるそうです。(抜いたらまた舌が生えてくる)

また地獄は言葉が通じない世界と言われますから、どんなに鬼に「許してください」と頼んでも鬼は淡々と舌を延々と抜いていくのだそう。

そんな苦しみの中で生前懐かしい人に出会っても、きっと見えてもいない、それくらいね責め苦に遭うのが地獄なのです。


こんな世界に堕ちる生き方をしている私をみそなわして何とかして救ってやりたいと願われたのが阿弥陀如来さまなのであります。

皆さまが考えているそんな生やさしいものではないのです。

罪の自覚もないからこそ、「お前を助ける、まかせよ!」と言われてもまかせられないのですね。


お盆にそこにはいないご先祖を想いお参りしてもこのような本当に意味のあるものを知ることなければ、しあわせになんてなれるはずはないでしょうね。

もう一度、以前に流行った『千の風』の歌詞を思い出して欲しい。


阿弥陀如来に救われた方々は皆、ナモアミダブツになっておられます。

姿ではなく声の仏さまとなって気づいてくれよ、と願い続け喚び続けておられます。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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