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土徳の世界

日本の歴史上では貧困や災害、飢饉や大地震、戦乱、疫病などさまざまな困難がありました。その度に慄き、右往左往して生きてきたのは私たちに改めて諸行無常の理を教えてくださっています。それでも、この世界で間違いのないものを願い生きているのが人間のすがたではないでしょうか。

それでも正しい信仰とは似ても似つかないカルトやスピリチュアルなものに思いを馳せ、これまた右往左往して生きているのが人間ではないでしょうか。

被害者の会に行ってみるとどの会場に行っても見たことのある人がたくさん居るんだそうです。あの豊田商事事件から、昨今の旧統一教会まで。

聞きますと皆こういっているそうです。「今度こそ大丈夫だと」

そうやって人間の浅はかな欲望は闇に飲み込まれていくのですね。

ギャンブルで家を建てた人はいないと昔から言われているのにも関わらず未だにギャンブル会場は車でいっぱいになっています。営利団体のお客様であります。

パチンコ、パチスロの台は一台約400,000円するそうですね。

入れ替えたら一体一店舗いくら経費がかかるのでしょうね。回収しなくては店が潰れるのに。どうせやるなら会社の株式を買って応援させていただいたら損しないのにね。人間の欲望は正しい方向にはいきにくいものですね。


さて、昔から浄土真宗のみ教えが生活に浸透している土地を「土徳」と言います。

「土徳」とは、土地の精神風土をあらわす言葉です。

何十代にもわたって積み重ねられた土地の信仰の生活。有難いと感謝し合う人々の心が風土となり目に見えない力として人々を育てるのです。

浄土真宗では、近畿地方、北陸地方、広島県をはじめとした中国地方、そして九州ですね。この地方に暮らす人々は浄土真宗のみ教えに目覚めてこそ本来の人間の生きる意味を常に考えながら生きていく世界であります。

俺が俺がではなく、おかげさまの言葉と共に、他者を思いやる心を大事にして生きていく支え合いの世界であります。

南無阿弥陀仏を我が身にいただいていくということは、阿弥陀さまの大慈悲心に抱かれて生きていく世界であります。そしてそのままお浄土までご一緒の人生であります。自分さえ良ければの殺伐とした世界ではありません。

人智を超えた他力の世界を知ること、にの人智を超えた大きな力、大自然や大宇宙の力が人間の心に届いたならば、「信」となり、物に働いた時「美」となる。浄土真宗のみ教えが浸透している地域は、おかげさまの感謝の心によって地域が形作られてきたのです。「講」というものも浄土真宗の信仰に欠かせずあるものです。共同体のことです。皆で語り合いながら自分に気づかせていただくのです。自分の殻の中で思い悩んでいくのではなく、周りに人から気づかせていただくのです。


吉川英治さん風に言えば、宮本武蔵に言わせたら「我以外皆我師」(われいがいみなわがし)の精神でしょう。


極端に言えば泥棒だろうがなんだろうが皆、師であるという発想であります。

「人さまによってお育てに預かる」といった社会がつい先日まで実際にあったのです。ではなぜなくなったのか。核家族化に弊害とでもいうのでしょうか。

これに尽きると思います。合掌作りの屋根も一人の力ではできません。経済力も一人ではできません。結婚式も、葬式もであります。

皆が協力しあってこそできるのです。

「講」の世界は、仏教思想を媒体にして自分を内省する働きがあります。

物質的利益の共同体ではないので、お講に入れば楽だとか得をするとかという話ではありません。

感謝が深まれば深まるほど、「感謝」の心、つまり社会や他人に尽くすことですが、義務感ではない自然な気持ちの発露として行動が出てくるのです。

それは意識していないから尊いのです。良いことだからやろうではなく、当たり前、空気のようなものなのです。


棟方志功さんは、「板極道」(ばんごくどう)tぴう著書で、「ここでは誰も彼も、知らずの内、知らずの内、ただそのままで阿弥陀さまになって暮らしているのです」と書いています。

ボランティアをする人は達成感を得られると言いますが、ここではそんなものは全然求めていません。蓮如聖人が来られて、日々の生活の蓄積が自然化したのでしょう。


これが昨今の個人主義の登場によって生活が一変してしまったのです。

田舎に普通の子が、突然キレて反社会的なことをやったりしています。

日々の生活がいかに大事であるのかを思い知らせれているように思うのです。

『板極道』で棟方志功さんはこうおっしゃっています。

「いまのままではただの、自力で来た世界を、かけずりまわっていたのでしたが、その足が自然に他力の世界へ向けられ富山という真宗王国なればこそ、このような大きな仏意の大きさに包めれていたのでした。(中略)富山では、おおきないただきものを致しました。それは南無阿弥陀仏でありました。」


一心に取り組んでいて、最後まで壁が破れない、打ち破れず悩んでいる人々。人生に矛盾を感じ、真実を追求していて壁にぶつかっている人々。しかしそんな人々も北陸にやってくると何か知らないうちにポンとはじけるように超えてしまう。

この土地柄は、そういう働きをもっていて、その原因を探っていくと蓮如上人に行き着くのです。

これは五百年もかかって作り上げられたものですから、大きな財産というべきでしょう。


今日本は円安によって海外から大変多くの外国人が訪れます。

外国人観光客に、日本へ何を目的に観光に来たかというアンケート調査をしたそうです。

一位は【神社仏閣】、二位は【日本の自然】、三位は【日本の田舎】だったそうです。日本人が捨てた日本の田舎が海外からわざわざ来る目的であったなんて驚きですよね。そう言えばゲーテは、「都会は人が造る、田舎が神が造る」という意味の言葉を残しています。

日本人は大都会に憧れ田舎を捨てて都会生活を謳歌しています。その中で今まで培ってきた【土徳】という素晴らしい生活を忘れ心の安らぎを犠牲にしてきました。

都会に住む中で本当の安らぎを知ることは長きにわたって培ってきたものを思い出すことでしょう。


そのことを改めて憧れだけに終わらずに日々の生活の中に生かしていきたいと思うのです。南無阿弥陀仏

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