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執筆者の写真超法寺の住職

嗜む[蓮如語録]

皆さま、おはようございます。

今朝は嵐のような風はおさまったようです。

しかし寒さで震えております。

また寒いと腰痛が出てまいります。

もうあれから1か月になりますが良くなりませんね。[老い]が原因なのかも知れません。

焦らず行きますかね。

皆さまも若い若いと油断なさらずに精進しましょう。


さて今朝は蓮如上人のお言葉をお味わいしながらお聴聞しましょう。

[嗜む](たしなむ)

念仏生活の営み方、蓮如上人の人生観、世界観といったものを見てみたいと思います。

正式には『蓮如上人御一代記聞書』と呼びます三百十六条からなっています。

[嗜み]を辞書で引きますと、[好む、心がける、たえず用意する、慎む、気をつける]と出てきます。嗜み、嗜むというのは、心がけるとか慎むという意味のようですが、仏教では戒律という、自分自身で自発的にこうしよう、こうはしまいと誓うものであり、それが習慣化されると、戒める内容が身について一つの潜在的な力が体内に養われてゆくのであります。


例えば生き物を殺すまいと誓う【不殺生】など自ら心がけて繰り返ししていくことによって、身についていくという意味のようであります。蓮如上人は【自分自身を嗜め】と教えられますが、まず【法を聞け】、聞法ということに関して、《行さき(先) むかひ(迎)はかりみて あしもとをみねば ふみかふるべきなり 人のうへはかりみて わが身のうへのことを たしなますは 一大事たるへきと 仰せられ候》(聞書191)


これは、足下を照顧(しょうこ)しないと、足下を踏みそこなって転ぶことがある、しかもひのことばかり気をつけて、わが身の上を嗜まないことは一大事である。嗜みの内容として、真理の教えを聞く身となれ、とおっしゃっているのであります。また、法を聞く、聞法という嗜みは若いときからすべきであるということを、ある仏法者が言った言葉で述べておられます。

《仏法者まうされ候 わかき(若)仏法は たしなめと候 とし(歳)よれば 行歩もかなはす ねふ(眠)たくもあるなり ただわかきとき(若) たしなめと候》(聞書63)


仏教の教えというものは若いときにこそ常に心がけて聴聞すべきものであって、もしも歳をとってからになると、足腰も弱く歩行も困難になって法を聞きに行くこともできなくなるし、また法を聞いても眠気を催してしまう。したがって「ただわかきときたしなめと候、若いときにこそ聞法に心がけるべきであるという意味です。


また称名念仏(声にしてお念仏を称える)を繰り返していくことが嗜みの内容であると言われています。仏恩(ぶっとん)、仏さまのご恩を嗜む、すなわち報謝の称名を称えるという嗜みは、世間一般にいうところの嗜みということではないと言います。

信心をいただいた身にとって、仏恩を有り難く思って念仏申すことであるけれども、喜んで称える念仏の合間に、凡夫の常として怠ったりするとき、「かかる広大な仏恩を忘れる我が浅ましさよ」と、仏智の御計らいに立ち戻っては、「有難いことだ、尊いことだ」と思うからして、他力のはたらきに催されて自ずと念仏申すことであると申しておられます。


仏さまの智慧、仏智に立ち戻って生活をするということは、自分だけが信心の生活をするのではなくて、周りの人、多くの人々にまで、念仏生活の輪を広げて伝えていく、つまり【利他】のはたらきに出ることが大事だと申されておられます。


いかがでしたか。

これから瑞穂斎場まで葬儀へ行くので続きは後ほど更新しますね。

今日も南無阿弥陀仏を声に称えながら、強く明るく生きぬきましょう。

ナンマンダブツ

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