皆さま、おはようございます。
昨日は写経会にご参加くださったお二人には感謝申し上げます。今回新たに『阿弥陀経』『御文章』を求めてよりバラエティにしました。
さまざまなものに触れながら皆さまと共に浄土真宗のみ教えを味わう機会を増やしていけたらいいですね。
さてあの暑さもさすがに去り寒さが身体にこたえてきました。これからはしばらく寒さに耐えていかねばいけませんね。どうぞお大事になさってくださいませ。
また昨日は複数の葬儀で走り回りましたが仏縁をいただける有り難さを感じながらでしたが、その分どうしても疎かになってしまうものもあるという現実を目の当たりにするのです。
男所帯でやりくりしながらやってきました。
今まではお暇な時間が有り余っていましたが、平日にもお仕事をいただいてきますと、身体がついてこないという弊害が出てきた感じです。
こんなことじゃいかんとはもちろんわかってはいるのです。甘い楽な方向へ向かう愚かな自分の姿が見えてきたのですね。
そこはさすがに超法寺を大切に思ってくださる方にはお恥ずかしく思うところでもあります。
寒さがこたえる家なので敷物を新たに購入して、消臭機も増やしました。かなり快適になったと感じます。
皆さまも貴重なご意見を大切にしながらよりよりお寺環境を整えていこうと思いますので、これからも何卒よろしくお願いいたします。
さて『仏説阿弥陀経』の冒頭にお釈迦さまのお弟子の名前が出てきます。
ちなみにたくさん出てくるのは【舎利弗】ですよね。阿弥陀経に何回出てくるかご存知ですか。一度数えてみてください。
私は学生時分に先生から『仏説阿弥陀経』に【舎利弗】という人の名前が出てくる。そこに自分の名前を置き換えて読んでみなさい。そうすれば、このお経は亡くなった方に読まれているのではなく、【今現在説法】今ここでお経を読む聞く私にお釈迦さまが説法してくださっていることに気づくはずだ、と。
つまりは、お経の意味を知らなくては今がないということなのでしょうね。
そこで冒頭に出てくるお弟子、「十大弟子」についてお話しましょう。
※十大弟子
大乗経典により特定の弟子の呼称が定着。
特定の弟子への信仰は中国で始まった。
◎舎利弗(しゃりほつ)
パーリー語ではサーリブッタ、サンスクリット語ではシャーリプトラ。舎利子とも書く。
【智慧第一】
『般若心経』では仏の力を承けた観音菩薩の説法の相手として登場。『仏説阿弥陀経』ではお釈迦さまの説法相手(あまりに人智を超えた内容のためお弟子の誰もお釈迦さまに質問すらできなかった。そのため、どうしてもこれだけは皆に話さねばならなかったお釈迦さまは、長老舎利弗に向けて語ったそうです)
◎魔訶目犍連(まかもっけんれん)
パーリー語でマハーモッガラーナ、サンスクリット語ではマハーマウドガリヤーヤナ。
一般的には【目連】(もくれん)と略称されます。
【神通第一】(じんずうだいいち)
舎利弗と共に懐疑論者サンジャヤ•ベーラッティブッタの弟子であったが、共に仏弟子となった。中国仏教では、目連が餓鬼道に落ちた母を救うために行った供養が『盂蘭盆会』の起源だとしている。
◎摩訶迦葉(まかかしょう)
パーリ語でマハーカッサパ、サンスクリット語でマハーカーシャパ。大迦葉とも呼ばれる。
【頭陀第一】(ずだだいいち)
お釈迦さまの死後、その教団を統率し第一結集では、500人の仲間とともにお釈迦さまの説法を編集する座長を務めた。禅宗では付法蔵(教えの奥義を直伝すること)の第二祖とする。
◎須菩提(しゅぼだい)
パーリ語でもサンスクリット語でもスプーティという。
【解空第一】(げくうだいいち)
『金剛般若経』等、【空】を説く大乗経典にしばしば登場する。
◎富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)
パーリ語でブンナ•マンターニーブッタ、サンスクリット語でプールナ•マイトラーヤニープトラ。
略称として「富楼那」他の弟子より説法が優れていた。
【説法第一】
◎摩訶迦旃延(まかかせんねん)
パーリ語でマハーカッチャーナ、サンスクリット語でマハーカートゥヤーヤナ。
【論議第一】
辺地では、5人の師しかいなくても受戒する許可をお釈迦さまから得た。
◎阿那律(あなりつ)
パーリ語でアヌルッダ、サンスクリット語でアニルッダ。
【天眼第一】(てんげんだいいち)
お釈迦さまの従弟。
阿難と共に出家した。
お釈迦さまの前で居眠りばかりして叱責をうけ、眠らぬ誓いをたて、視力を失ったがそのためかえって真理を見る眼を得た。
◎優波離(うばり)
パーリ語でもサンスクリット語でも、ウパーリ。
【持律第一】
元理髪師で、階級制度を否定するお釈迦さまにより、出家した順序にしたがって貴族出身の比丘の兄弟子とされた。
◎羅ご羅(らごら)
パーリ語でもサンスクリットでもラーフラ。
羅雲とも書かれる。
【密行第一】(みつぎょうだいいち)
お釈迦さまの長男。
お釈迦さまの帰郷に際し、出家して最初の沙弥(少年僧)となる。
そこから日本では寺院の子弟のことを仏教用語で【羅子】(らご)という。
十六羅漢の一人。
◎阿難陀(あなんだ)
パーリ語でもサンスクリットでもアーナンダ。
阿難とも書く。
【多聞第一】(たもんだいいち)
お釈迦さまの従弟。
[歓喜(かんぎ)という意味がある。]
出家して以来、お釈迦さまが死ぬまで25年間、お釈迦さまの付き人をした。
第一結集のときアーナンダの記憶に基づいて経が編集された。
120歳まで生きたという。『無量寿経』等に、お釈迦さまの説法相手として登場する。
まだまだお弟子はもちろんおられます。
『阿弥陀経』には、千二百五十人倶とあります。
いかがでしたか。何度も何度も読み聞きしていたお経の意味を知ると目から鱗になりませんか。そうすると興味が倍増します。
拝読「浄土真宗のみ教え」10ページの、「真実の教え」には、
あらゆる者を救いとる教えこそ真実の教え、
究極の教えである。
親鸞聖人は仰せになる。
それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿
経』これなり
『大無量寿経』には、あらゆる人を念仏一つで救おうと誓われた、阿弥陀如来の本願が説かれている。
釈尊はその生涯をとおしてさまざまな教えを説き広められた。
この経が説かれるとき、釈尊のお顔は、いまだかつてないほどに、悦びにあふれ気高く光り輝いておられた。
あらゆるものを救いとる阿弥陀如来の本願を説くことこそ。釈尊がこの世に出られた目的だったからである。
このように言われます。
私たちは、喜ぶべきものを喜ばない。しあわせなものをしあわせと思えない。
そんな真実に背を向けた愚かな人生を真実だと思い込み、形や物、当てにならないものに執着して生きています。
当たり前など何一つないというのに、幻にしがみついて自分の殻に閉じこもる生き方を正しいという認識を持とうとします。
そうではないよ、と指し示す仏心をしっかりと聞く身になることで、本当のしあわせに気づくのではないでしょうか。
あ、すっかり朝になりましたね。
今日も一日、二度とない大切な一日です。
しっかりと歩ませていただきましょう。
朝な、朝なにみ教え仰ぎ、清き務めに勤しむ我ら。
朝な、朝なに仏行(みあと)を慕い、清き思いを語ろう我ら。
朝な、朝なに仏証(みさとり)讃え、浄き意(こころ)をやしなう我ら。
慈恵(めぐみ)あふるる貴き一日 今日も捧げん我らの生命
〈仏教讃歌「朝のうた」〉
ナンマンダブツ、ナンマンダブツ、なまんだぶ
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