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執筆者の写真超法寺の住職

喜びの中に生きる

皆さま、おはようございます。

いやぁ、寒くなりました、まさに冬。

気合いが入りますね。

今日はいよいよ超法寺の報恩講です。


一年もあれよこれよと過ぎ去りました。

さまざまなことがありました。

嫌なこと、辛いこと、苦しいこと、思い通りにいかない辛さ、仕事がなく不安に駆られた日々も、過ぎ去ればなんとやら良い思い出となりました。こうやって一日一日往生へ向けて歩んでいくのです。


そのことを味わいながら、今朝もご和讃をいただきます。


「南無阿弥陀仏となふれば、十方無量の諸仏は、百重千重囲繞して、よろこびまもりたまふなり」(浄土和讃)


つい先日まで暑い暑いと大騒ぎしていた私たちですが、気がつけばやはりきちんと四季の移り変わりがあります。埼玉県西部は京都のような底冷えが身に染みます。

私たちは厳しい自然の営みを感じながら、生かされて生きているということを実感して、生かされている意味合いを噛み締めていきたいと常々考えています。


そういう気持ちで親鸞聖人のご和讃を読ませていただきますと、お念仏の世界とは何ともいえない安らぎを感じずにはいられないのです。


「南無阿弥陀仏を称えると、十方世界の数限りない仏さまが、百重にも千重にも取り囲んで、喜び護ってくださる」


親鸞聖人はおっしゃっています。

つまり、ナンマンダブツを称えて生きていることは、年末年始になるととかく「魔除け」みたいなことを言われるじゃないですか。

お念仏を称えて生きるということは必要がないというのですね。


浄土真宗は、【疑心】あることなしの教えです。

聞こえたまんまを受け止め、そのまんま生きていくのが浄土真宗です。


つまり、お札やお守りが気になるような人は、阿弥陀さまの【ご本願】を自分勝手に考えて自分中心に受け止めているということですから、【異安心】「いあんじん」と嫌われます。


浄土真宗と言いながら、浄土真宗の教えに生きてはいないということなのです。

お恥ずかしいことですね。


私たちは、阿弥陀さまの本願のはたらきに生かされていることに気づいて、満ち足りた喜びの世界にある私となり、ほのぼのとした[ぬくもり]を感じていくのです。

私たちのご先祖は、10代さかのぼるだけで1.034人もおられるといいます。

それだけの方が南無阿弥陀仏の仏さまとなられてお念仏を称える私を喜び護っていてくださるのに、どうしてまだ安心できないの?

悲しいですね。是非、仏法聴聞する人生に転換していきませんか。

素晴らしい日々が送れますから。


さあ今日は報恩講。

どれだけの方がお参りしてくださるか楽しみにお待ち申し上げます。ナンマンダブツ。

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