吉凶に囚われない人生
- 超法寺の住職
- 6月2日
- 読了時間: 2分
皆さま、夜分に失礼します。
夜にボーッとしていますと様々なことが頭をよぎります。いかに煩悩まみれの我が身なのかと情けなくなります。
普段はこれでいいんだと思っていても、心底には沸ふつとわきあがる恐ろしい心が頭を上げようとするのであります。
南無阿弥陀仏をいただいているこの私が、阿弥陀さまと人生をご一緒させていただいているというのに、この燃え盛る何かからは一瞬たりとも離れることがないのです。
「吉凶に囚われて、幸せを失う」
さて皆さまの中に「今日の運勢」を気にかけておられる方はいらっしゃいますか。
あまりに気にしていますと囚われの一日となります。
仏教の教えからは老病死からは逃れられませんし、解決はできませんから囚われていたら本当の幸せにはつながりません。
結局「まだ死にたくない」「どうせ私なんか」
と輝かしい我が命を輝かせられずに人生を終えてしまうことになります。
「吉凶」に囚われて無駄に生きるのではなく、吉凶から開放された生き方、それが南無阿弥陀仏のお念仏を称えながら生きていく人生こそ、命を輝かせて本当の幸せを受容したいものです。
モヤモヤから開放されねばならないなど一切おっしゃらずにそのままの私と人生をご一緒くださる阿弥陀さまであります。
どんなに悩み苦しんでいても、最後には「ま、いっか」と悩みや苦しみさえも受容していける世界は阿弥陀さまとご一緒(一体)のお救いに出遇っていく他はありません。
必ず悟りの浄土に生まれさせていただく慶びの人生は、日の善し悪しを選ぶことも必要なく、祟りや霊や魂を忌み嫌う必要もない安穏な人生であります。
「今日の運勢」や「血液型占い」など全く気にする必要ない人生、吉凶の囚われからも解放された私だけの生き生きとした人生とは阿弥陀さまとご一緒に生きていく人生ではないでしょうか。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
お休みなさい。
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