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去るもの追わず•••でも

皆さま、こんばんは。

今日の入間市は午前中は良く晴れましたが午後から雨になりました。おかげさまで午前中に洗濯を済ませて良かったです。


さて、しばらく超法寺へお参りくださっていた方がお寺とのご縁を離れていくとのことです。これも私の体たらくが原因だと痛感します。

大変申し訳ございませんでした。

その場しのぎでやってはきましたが、今回の件で改めてその重要さを思い知らされました。

今後に向けて精進していこうと思います。今まで有難うございました。南無阿弥陀仏


普段から去るもの追わずって言ってきましたが、実際にそう言われると寂しいものですね。

きっと皆さまも、常々そう感じておられながらお許しくださっておられたのでしょうね。

甘えてばかりではダメですね。


[心のお掃除]

昔、インドに掃除をしながら悟りを開かれたお坊さんがおられました。今から約二千五百年前、お釈迦さまのお弟子にシュリハンドクという名前のお弟子さんがおられました。

この方は物覚えが悪く、朝聞いたことも夜には忘れてしまう。その上、自分の名前も覚えられなくて背中に自分の名前を書いてもらい、人に名前をきかれると、自分の背中を見せて自分の名前を教えるほどでした。

ですから他の弟子たちからいつも馬鹿にされておりました。彼はそういう自分が情けなくなって、お釈迦さまのもとへ行って、「私はもうお坊さんを辞めたいのです。」と相談しました。

するとお釈迦さまは、「何も心配いらないよ。」と言って、彼に一本のホウキを持たせて「きれいにしよう」という言葉だけ教えたのです。

シュリハンドクはそれから何年も、その言葉だけを繰り返しながら掃除をし続けました。

ある日、いつものように庭を掃いていると、お釈迦さまが「ずいぶんきれいになったね。だけど、まだ一カ所汚いところがあるよ。」と、声をかけたのです。

シュリハンドクは不思議に思い、「どこが汚いのですか」と尋ねましたが、お釈迦さまは教えてくれません。「はて、どこだろうなぁ?」と思いながら、それからもずっと

「きれいにしよう」と言いながら掃除を続け、数年経ったある日、はたと気づいたのです。

「そうか、汚れていたのは自分の心だったのか」と悟ったというのです。

その時、お釈迦さまが彼の後ろに立っていて「やっと全部きれいになって良かったね」と言いました。


皆さまも、その状況を想像してみてください。

最初は掃き方も下手で、わけもわからずに一生懸命に掃いていたというわけです。

しかし、そのうちに掃除にも慣れてきて、「あの隅っこが汚れているぞ」と気がついたり、掃いてもしばらくすると、また汚れてくることや、また、「きれいに掃けたなぁ」と思っても、光が差し込んでくると空気中にいっぱい埃が浮かんで見えると、そういうことがわかる。

その中で、「何とまあ、いくら掃いても掃いてもきれいにならぬものだなぁ。」

「あっ!自分の心もそうじゃないのかなあ」と、気づいたわけなのです。


「お釈迦さまはなぜ自分に掃けと言ったのか。それは結局、【自分の心を掃け】ということだったのだなぁ」と悟ったというわけです。


つまり外側のお掃除だけではなく、まず心の掃除が大切ということです。

仏教には、精進という言葉があります。

皆さまも自分自身をしっかりと見つめて、よそ見や油断をしないで、今なすべきことを一生懸命に続けることです。


【心に草は無けれども、迷いの草は生い茂る】

という言葉があります。

皆さまも心に草が生えないように「きれいにしよう」と心のお掃除をしてみませんか。

もちろん、自分の生活環境をきれいにすることは一番ではないかと思いますよね。

反省ばかりの住職であります。


【他人のふり見て我がふりなおせ】

亡き母が生涯、ご教示くださいました。


他人を責める前に、自分の身の回りをよく見てごらん。そんなに人を責められるような生き方はしていないはずだよ。指摘して責める前に手を差し伸べて助けてあげるのが南無阿弥陀仏を称えながら日暮しをする念仏者なんだよ、と母は教えてくれました。


でもあまりそれに甘えてばかりもいけませんよね。お恥ずかしいことでありました。

皆さま、ごめんなさい。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏




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